すぐに役立つ、なにかしらの効用を求める人が多くなった気がします。
例えば、なんでもやってもいないのに、やる前から効果を知りたがり、
「それって、何の役に立つのですか?」と聞いてしまう・・・。
ワタシ自身は三浦理事長に、”渦状波®”を臨床で見せて頂いても十年位、
D2の繋がりとしてD3を、操体の臨床で患者に通せなかったのです。
お願いして個人レッスンを受け始め、知ってはいても更に学んでも、
皮膚へのアプローチには、人の”間”というメッセージが必要でしたね。
なので、D3を始めると決めたときは、他の臨床を一切しませんでした。
皮膚を感じる感動、驚き、皮膚に頂いたことは言葉で表現できないこと。
それこそ、もう少しで十年経過することになるけれども、全く飽きない。
学問だって同じでしょう?操体のアプローチも学問ですからね。
学び続ける理由は、自然の不思議を理解したい押さえがたい要求です。
皮膚から頂いたメッセージの一つにこんなことも…(↓擬人化仕様)
「効果だろうと、影響だろうと、役に立つかどうかなんて、
そんなことは、二の次、三の次でもいいんですよ・・・」
この素晴らしいメッセージを理解するのに、相応の”間”は必要でした。
言葉の意味で理解することと、「からだ」で理解したことは違います。
対象が同じでも、アプローチが違えば、メッセージも違います。
そこに至る道筋も違うならば、頂けるものも当然違ってきます。
素晴らしい詩や俳句の世界観が、一体何の役にたっているのか。
日が昇る瞬間の瞬き、小鳥のさえずる歌声は、何の役に立っているのか。
そんなことまでも、役立つ言葉で全て説明するのは愚かだと思うのです。
必然性として、操体のアプローチも”間にあう”ように応じたのですね。
メッセージを生かす臨床。
それは皮膚を介して「からだ」の無意識から、メッセージを頂けること。
ただし、見よう見まねでやってみては火傷をしてしまいますから、
「操体」というアプローチを学び続け、そして感じてみることです。
D3のその先こそ愉快なのですから、一生飽きないんですもの!