昨日のつづき
昨日、絵や夢でものを考える子どもたちや未開地の人たちのそれは無意識の言語だと言った。 そして、文明化した我々はモノクロームだと。 そのようなモノクロは文明の言語であるが、虹は未開の言語になる。 モノクロは本当の言語ではない。
しかし、我々はみんなアリストテレス的論理の中で訓練されてきた。 だからみんなモノクロ、すなわち白と黒で考えてしまう。 「善と悪」、「夜と昼」、「夏と冬」、「神と悪魔・・・・・・」 すべて白と黒のどちらかで考えてしまう。
そして、そこにはどんな中間段階もない。 神と悪魔の中間にいるのは一体誰なのか! いや誰もいない、それは不可能だ。 虹を見れば七色・・・・・・ 一方の端は赤色で、もう一方の端は紫色、そして、その二つの間には少しずつ変化する広範な中間段階の色の層がある。
全生命はとてもカラフルになっている。 だから、カラーでものごとを考えなければならない! モノクロの白黒では駄目だ! それは人間に起こった最大の病のひとつである。 この最大の病の病名は 「アリストテレス症候群」 と言われている。 なぜならこの病はアリストテレスから来ているからだ。
我々は 「この人は善人だ」 と言う。 それはどういう意味だろうか? 我々は 「この人は聖人で、あの人は罪人だ」 と言う。 それはどういう意味だろう? しかし、実際に聖人が消え失せてしまった罪人というのを見たことがあるだろうか? 反対に罪人が完全に消え失せてしまった聖人というのを見たことがあるだろうか? 程度の違いはあるかも知れないが、それは白と黒というようなものではない。
このようなモノクロ思考が人間を分裂症的にしてしまう。 我々は 「これは私の友人で、あれは私の敵です」 と言う。 だが、その敵は明日には友人になり得るのである。 そして、その友人は明日には敵になり得る。
だから、その違いはせいぜいのところ相対的なものであり得るだけだ。 それは絶対的ではあり得ない。 しかるに、ものごとはカラフルに考えなければならない。 モノクロでは考えないことが必要である。
これも十牛図にアプローチした延長線上にある廓庵のメッセージだと思う。
明日につづく