東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

プロ意識とプロ根性②

 昨日、プロフェッショナルとは、物事の真理を知った者のことだと言った。 まず 第一に、人が真理を知るときには、生命の複雑さとその多様性も知ることになる。 人が知るときには、生命がいかに機能するか、その神秘的な働きもまた知ることになる。 

 

 基本的なことは本当のこと、真実のことを言うかどうかの問題ではなく、人をいかに真理へ導くかということだ。 ときには嘘も役に立つなら使われる。 ときには本当のことも、かえって邪魔となれば使うことはない。 

 

 昨日のブログで書いたように医者は時折、プラシーボ効果を使ったりもする。 偉大なプロフェッショナルたちはみんな大した嘘つきであった こんなことはなかなか信じられないかも知れないが、紛れもない事実である。

 

 医療家にとって大切なことは、患者に対して、からだの働きの真理を語ることではない。 本当に大事なことは、どうやって患者をからだの働きという真理に導くことができるのかということにある。 

 

 ある医学生が医学部のプロフェッサーに訊いた。 「医療の真理とは何でしょうか?」すると教授はこう言った。 「利用できるものなら何でも・・・・・・」  これは決して真理の定義ではない。 嘘だって利用することができるなんて・・・・・・。 

 

 だが、この教授の言っていることは全くもって正しい こういったプロ意識をもった医学プロフェッサーたちの理解によって、あの西洋医学界においてもプラシーボが医療として認められるものになったのである。

 

 ときには逆の場合もありうる。 患者はあれやこれやと医学書を読みあさり、医療の真実をも知っている。 しかし、それが障害になって患者はますます混乱し、暗闇の中に入ってしまうこともある。 

 

 医療家において理解すべきことは、最終的な成り行きが判断の基準となるべきだ。  すべては最後に得られる結果で測られるべきなのである。