東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

プロ意識とプロ根性①

 いかなるプロフェッショナルであっても誤解されることを恐れてはならない。 そしてプロと言うのは真理を知っている者のことであるが、その真理を知るということは非常な危険をはらんでいる。 その理由はたくさんあるが・・・・・・。 そして真理は必ずといっていいほど誤解されるものである。 

 

 こんな話を聞いたことがある。 一人の男が医者のもとを訪れて 「妻に子どもができないのだが」 と相談した。 医者はその女性を診察し、脈をとりながらこう言った。 「不妊の治療などできませんね! どちらにしてもあなたはあと四十日の命です! それほど重病なのです」 

 

 これを聞いたこの女性は心配のあまり、その日からずっと何も食べることができなかった。 ところが四十日たっても予言に反して彼女は死なない。 どういうことかと夫が詰問すると、医者は言う。 「ええわかっています。 でもこれで夫人は妊娠されますよ」 

 

 いかぶる夫がわけを尋ねると、医者はこう言った 「あの方は太りすぎていましたね。 それが原因で不妊を引き起こしていたのです。 食べることからあの方を引き離す唯一の方法は、死ぬ恐怖を植え付けること。 そう私は知りました。 いかがです? 彼女は治りましたでしょう」

 

 この医者は嘘をついた。 死にもしないだろうことを死ぬといった。 それを通じてまったく別のことが起こった。 医者は初めからこう言うことだってできたはずだ。 「食事療法をしなさい。 絶食することですね。 四十日間断食しなさい、そうすれば治りますよ。」  こう言えばそれは真実のことだったかも知れない・・・・・・が、それはプロ意識を持つ医者の言うことではなかった。 もし役に立つとすれば死の恐怖だけだと医者は知っていた。 その死の恐怖を使って彼女にショックを与えたのである。 この医者は真の医術のプロフェッショナルだった。 

 

 なぜなら彼女は食餌療法など所詮やらなかっただろうし、四十日間の断食など決してしなかっただろう。 実際、そんなことはそれまでに何人もの医者が言ってきたに違いない。 しかし、彼女はそれに全然耳を貸そうとしなかったのである。 真実は必ずしも賢明であるとは限らない。 そして、嘘が必ずしも愚かしいとは限らない。 知るということには、実に複雑な要素が絡んでいる。 

 

 この医者は一つの状況をつくりだした。 彼女は心配し悩み苦しんだあまり食べ物のことなどすっかり忘れてしまった。 死が扉をノックしようとしているときに、食べられる人がいるだろうか? 食べることを愉しめる人がいるだろうか? 一秒ごとに彼女は時計を覗いたことだろう。 カレンダーを見つめたことだろう。 ああまた一日が過ぎていく・・・・・・。 そんなとき誰が食べもののことなど思う? どうやって料理を楽しめる? 死がそこまで来ているというときに そんなことはとてもできるものじゃない。 そして彼女は死ななかった むしろ、彼女のからだは完全に新しく生まれ変わっていた。 新しい生命が彼女の中で起こったのである。

 

 この医者が行なったことは、まさに 「プロ意識」 であり、誤解を恐れない 「プロ根性」 と言えるものだ。