「診立て」において常に意識していること。
経験に頼り過ぎず、気付くコト。
もう少し詳しく言葉を加えるなら、
経験によって得た知識に頼り過ぎず、
常に空間に満ちている新鮮な何かを感じるコト。
さらに言葉を加えてしまうなら、
型を学び、経験を積んで、診立ては成立します。
と同時に、枠に完全にはまった自然界、
というものがありえないように、
天然自然の道理もまた、枠にはまることはないのです。
有機物は無機物から生じている のであって、
見えないだけで、森羅万象そのものの母であればこそ、
形あって、形なしという診立ても成立するのです。
そんなものあるか!と訝しい顔をなさった方は…残念。
勿体ない・・・操体マンダラに参加されなかったのですね。
時間は空間に解け、チャンスは前髪という諺があるように、
「間」は、自然の流れに合った瞬間の”カン覚”で掴むもの。
向かい合った相手の「からだ」に訊くのみならず、
日々の生き方も「診立て」に必要な感覚のようですヨ。