ワタシ自身は想うのです。
世に不思議というものがあるならば、理解してみたい。
イメージできるものは、実現可能だからイメージできる。
仮説は仮説として置くのみなく、熟成させて立証したい。
え~本当かなぁ…いや、それはこういうわけだよ、と。
例えば・・・。
脈診の高名な先生方がそれぞれ違う「証」を診立てておき、
それぞれの「診立て」に適った「診断即治療」を施した際に、
それぞれの「診立て」で脈状も安定、症状も軽減するという、
このような不思議さも、臨床ではよしとされていました。
では、思い思いの「診立て」を通してもいいし、
「からだ」に思い思いの「処方」を施す。
それも成立する理由を「からだ」に訊ねたんです。
『それは・・・軸で・・・識してないからだよ』
ハハ~ン、なるほどそういうことだったのですね!とまぁ、
今はその不思議を、説明できるようになりましたとさ。
横軸と縦軸を学び、その違いを認識して「からだ」に問う診立て。
その違いがわかることで、不可視を可視にもできるのです。
・・・理想の診立てですか?
お互いに歪んで助かっていることに、”感恩報謝”できる。
そのような、”臨生の身縦”に感動することですね。
(※臨生とは、治療中のみならず、生きている瞬間すべて、
に貫通していることであり、身縦は、個人の生活云々でなく、
生かされているイノチに向き合っていると言う意味デス)
さて、一週間のお付き合い、ありがとうございます。
明日からは日下実行委員の診立てにて縦横無尽に語ってくれます。
それでは~お愉しみにッ!!