「右を見て、左を見て横断歩道を渡りましょう!」
小学校の時に言われるのが不思議でなりませんでした。
なぜなら、からだで感じればわかることでもあったし、
左を見てから右を見たほうが自然だったからです。
両方を比較して見るにも、同じじゃないですからね。
流れている方向性、その成り立ち順序はあるのです。
そして、診る手を見てその人の様々なことを診断する。
見た手…みたて…診立て…それは手相ですね。
全身の骨を写して診断する…これはX線撮影診断です。
骨一個一個を取り出してみることができたなら、
その特徴から情報を読み…骨相も診断できる。
全身のバランスを見て、中心軸で左右上下の歪みを見る。
これは、言ってみれば体相を見ているわけです
ならば、足の裏さえ情報さえ読み取ることができるなら、
そこでの診立て…つまり足診も成立できるのです。
ただ、すべてそのままそこに留まっている訳ではなく、
常に分子レベルでは循環していて変化を続けるのですから、
そういう意味でも「動診」を提唱し、臨床に活かして欲しい、
そして、今中心軸での左右比較したうえで、動診や操法を
通してきたことも含め、あらたまって考察を深めていく。
そのような時間を超えていく、時空から次元への転換も、
不自然ではなくかえって自然と感じるようになりました。
大きな視野で診立てを通す。
それは、宇宙の法則に適うから天然自然の法則なのであり、
生命は、選択する学問体系から脱却していくのでしょう。