「診立て」を通し、それを相手にどう伝えるか。
それは、「診立て」と同じように大切なんですよね。
伝える方法も重要です。
ならば、相手の「からだ」に、どのような言葉を選択し、
どのようなタイミングで伝えたらいいのでしょう。
私の場合は、以前、患者さんに向かいあう状態で、
座位や仰臥位、伏臥位等とって頂いた状態において、
「ここが”すごい”変です」とか、「ここは”おかしい”」とか、
そのような伝え方をした時期がありました。
その不自然さに、ある時ふっと気付かされるわけです。
操体の哲学を学びながら、そのような表現こそおかしい。
そして、そう捉えてしまっていたワタシ自身もおかしい。
当然のようにそう捉えている理由もおかしいのだ…と。
学び続けると、「からだ」本位に捉えなおす機会はあり、
「からだ」の要求により指導されることも多いのです。
現在は、そこに手を変え品を変え、そして「体感語」を加え、
共有できる「からだ」も感じるように意識しています。