これは隠れ家の話である。
平日の昼休み。
少しはねをのばして、ここのところ通ってしまっている食堂がある。
言ってしまえば平成の世にひっそりと息づいている「昭和の食堂」なのだが。
不朽の名作「幸せの黄色いハンカチ」のなかで
健さんが醤油ラーメンとかつ丼を注文したあの空間、
といえば少し伝わるだろうか。
ここの暖簾をくぐると、大抵お客さんが一人か二人はいる。
外から見た感じは「この店って、まだやってるの?」と一瞬疑ってしまうが、
中に入ると「あ、ここはまだ現役なんだ」と感じさせる何かがある。
正直なことを言って、「美食」とは程遠い。
例を挙げれば、「カレーチャーハン」だって、
カレー味のついた焼飯がメインで、荒く切った玉ねぎと
辛うじて存在が認められる肉がすべて。
そして毎回年季の入った碗でスープがついてくる。
現代の外食のスタンダードとはかけ離れている価値観を毎回突き付けられるが
でも、それが本当にこまったことに、やけにうまく感じる。
「ごめんなさいね、うちそんなにいい材料は使えないんだけど・・・」
でもその分だけ、何かが宿っているのだ。
料理とはなんなのかと、真剣に考えさせられる。
いい材料をふんだんに使って拵える料理は美味しい。
でも「食べる」ってそれだけではないんだ、ということをびしっと感じさせてくれる。
料理以外にも、揺さぶられるポイントは多い。
食堂は外観も内観もかなり古い。でも、恐らくであるが
毎日きちんと掃除はされている。だから、居心地はいい。
そして、本当に些細なことではあるが「サービス」が行き届いている。
それは、必ずコップに水を足しに来てくれたり、
食べ終わるころにボックスティッシュをサッと出してくれたり、
カレーチャーハンを食べていて額に汗をかいていたら、
メンズボディーシートを奥から出してくれたりする、優しい気配り・心配りである。
それが「正解」かどうかは別として、気持ちは嬉しいなといつも思う。
そして、とてつもなく謙虚で、程よい距離感を常に保つ姿勢がある。
こういったことは、「立ち止まって」いては発想しえないことで
そんなに贅沢なサービスは提供できないけれど、
それでも何かできることはないだろうか
と常日頃から考えていないと思いつかないし、行動もできない。
これは絶対に「これでいいや」という気持ちからは生まれえない動きである。
おいおい、随分褒めるね、と自分でも思ったが、
実際、この空間には大事なことが充満しているように思うのだ。
そして、それを証明するように、
この空間を味わいたい人、必要としている人が
決して多くはないけれど毎日のようにこの異空間に引き寄せられている。
この空間の在り方は、臨床そのものだと自分は思いたい。
自分がこれほどくいついているのは 、
それほど遠くないいつか、
自分が提供したいとあたためている隠れ家のような空間へのヒントが
この異次元に詰まっているからなのだろうと思う。
「異次元・異空間」といえば、まもなく春のフォーラムがやってきますね。
今回も何が起こるかわからない、たのしみな場になりそうです。
一週間のお付き合い、ありがとうございました。
お、そろそろ明日からの友松実行委員がスタンバイしておりますので、、、
はい、バトンを渡しました・・・よ!
2018年春季東京操体フォーラムは
4月30日(月)昭和の日(振替休日)に開催致します。
テーマは「スポーツ障害と操体」です