時に自分が取り組んでいることにおいて本気で語り、衝突し、争っていくことも進化していくことにおいて必要なことだと近頃感じている。
私も含めて出来るだけ穏便に学んでいきたい、争いだけ避けたいのが本音としてある。
しかしやっていることに対し真摯に向かい合っていくほど、絶対に曲げてはいけないことはあり、それを貫いていく強さが学びには必要なことである。
橋本敬三先生や三浦先生のように「道なき道」をこれから歩んでいくのならば尚更必要なことのように思う。
以前のブログで「学びには素直さが必要」だということを書いたが、ただこの素直さにも2つある。
1つはただ素直に受け取り鵜呑みにするだけなのと、もう一つは受け取ったものを自身のからだに通してそれが本当なのかを検証するのと2通りの素直さがある。
何か特別な物を持っている人は恐らく後者の方を誰に言われたわけでもなく行っているのではないだろうか?
食いついたものをただ食いぱなしにはせずに、食べたものを自身の人生にしっかりと生かしているということでもある。
これはやっていることを飯の種にしていてはたどり着けない境地だと思う。
こういったことが分かってくると「くいつく」ことにも作法、そしてルールがあるように思う。