すでに学びの道筋は、通っているのですから、まずそれに従って教え導いていけばよいのです。
私の修業当初、何があったのかというと、まず言葉ありで、操体ウンヌンというものではなかった。
「哲学」的なことばかりであった。
生涯問い続けていかねばならないことであった。生命、このいのちのこと、人生のこと、学びのこと・・・・・・。
後々それが身についた操体への理解となって実ってきたのだと思っている。
それは操体の学びが日々の生き方と無関係ではない、ということで、切り離しては、考えられることではない。
日々の生き方のなかで、どう操体と向き合っているのか、その日々の努めが、必ず、あからさまになる。
それは当然なことなのかもしれないが、こわいことでもある。