おはようございます。
自分のからだと対立して頑張っても仕方がない。
自分のからだが無ければ、自分の存在は無いわけだから。
自然と対立して頑張るよりも、調和して、より良い未来を創造していった方が良い。
今がどんな状況でも、自然に生かされて生きている事には変わりないのだから。
人間と自然とは、共に調和して共生に向かうものであると思う。
古の日本人には、人間は自然の一部であるという考え方が根底にあったという。自然は物ではなく、限りなく流転していく生命そのもの。
その自然を畏敬し、共生や一体化を考えていく中で自分自身をみつめ、そこから他への思いやり、慈しみの心が養われていったという。
一方、西洋的な自然観はというと、旧約聖書の創世記に「子孫を繁殖させよ、そして大地を満たせ。大地を征服せよ。海中の魚、空飛ぶ鳥、地上を這うすべての生き物を所有し支配せよ。腫を結ぶ一切の植物、実のなる一切の木を食物として人間に与える」とあるように、自然を物とした人間中心の自然観が窺える。
そして、そこには自然と対立して、自然を克服するとか、征服していくといった頑張りの構図もみえてくる。
それによって文明は発達し、今を生きる私達の衣食住の空間は便利になったのは確かだろう。
しかし、自然との対立の構図からでは、どんなに頑張っても、どうにもならない事だってあると思う。
その一つには、増加の一途を辿る生活習慣病をはじめとする、様々な現代病の問題。これは心とからだのアンバランスによるストレスが多分に関わっていると思われる。
この問題は、からだを物や道具として捉えていたのでは、解決しないと思う。からだは自然の摂理に向いて自律しており、からだにはからだの求める空間があるのだから。
どんなに頑張ったって、人間は天と地の間でしか生きられないし、からだが無ければその存在は無いのだから。まずは、その関係性に調和和合の心を向ける。
一週間のお付き合い、ありがとうございました。
明日からは畠山裕美先生の担当となります。
来週も宜しくお願い致します。