つい先日、久慈でも雪が降りました。
散歩道の小脇も、朝には霜が降りて白くなりだしています。
季節の移ろいを感じながら、春頃のことを思い出します。
朝の日光を浴びてキラキラ光る足下のスギナに、よく目がいっていたこと。
キラキラ光っていたのは、スギナの枝についている水滴でした。
スギナの枝についている水滴は、水分調節のためにスギナ自身が水気孔から排出したもの。
朝露かと思っていたものは、もともとスギナ自身が体内に取り入れていた水分だったのです。
日光に反射して輝いていたのは、それまで体内にあって目に見えなかった水分が、目に見える形になって現れた生命現象の循環そのものの輝き。
スギナを見て、そんなふうに感じられるのは、「からだ」に原始感覚が与えられているから。
外と内がつながっているのは「からだ」も同じだと、「からだ」が原始感覚をとおして教えてくれる。
「からだ」の呼吸と真摯に向き合えば、「息」という営みをとおして、「からだ」の外と内のつながりを感じさせてもくれるのです。
目に見える生命現象と目に見えない生命現象はつながっている。
そんなことを感じられるようになってくると、「からだ」自身の輝きは一層増してくるように思うのです。
目には見えないけれど、調和を感じられたとき、美しいと思えることがある。
目には見えないものにも光は訪れる、ということも植物をとおして「からだ」で納得できるのです。
(つづく)