おはようございます。
フリーとかフリーダム、特にフリーダムと聞くと60年代のアメリカ映画「イージーライダー」が思い浮かぶ。
この映画は、当時の聞き覚えのある曲と、チョッパーというカスタムが施されたハーレーダビッドソンのバイクに関心が向きやすいが、自由への問いかけがされている作品のように感じる。
ワイアットとビリーの2人の若者が、違法薬物の売買で大金を得、ハーレーに跨り、身につけていた時計を放り投げアメリカ大陸横断の旅に出かけるところからはじまり、様々な出会いや出来事を経て、最後は2人とも射殺され、乗っていたバイクも炎上してエンディングとなる。
様々な出来事で多いのが、自由を求めて、やりたいようにやる2人と、地域社会の人達の拒絶や軋轢。
途中、留置場で出会った酔いどれ弁護士のジョージ・ハンセンが加わり3人旅となるが、このジョージが2人に言った次のような言葉が印象的であり、当時のアメリカ社会を象徴しているようにも思える。
アメリカ人は自由を証明するためなら殺人も平気だ。
個人の自由についてはいくらでも喋る。
しかし、自由なやつを見るのは怖い。
この言葉が表すように、ジョージも途中で一般の自警団の人に殺されてしまうし、エンディングでは残った2人も、長髪と奇抜な服装をしているというだけで銃を向けられ、それに対して中指を立てただけで発砲され、殺されてしまう。
自分のやりたいように自由にやろうとする若者と、それを恐れ、自分たちの自由を脅かす者として、自由を守る権利として、殺害をも自由とする人達。
この構図は怖ろしく感じるし、地獄のようだとも思える。
自由も、我欲の世界観で捉えようとすると、おかしくなってくるように感じる。