おはようございます。
フリーダムということから、昨日は1960年代後期のアメリカ映画「イージーライダー」が思い浮かび、少し書いた。
この映画の主要人物である、キャプテンアメリカことワイアットとビリー。
2人とも、当時の保守的な人達とは違い、定職に就かず髪や髭を伸ばし、住処も捨ててバイクで開放的に旅し、ドラッグやフリーセックスに価値を見い出すような、享楽的生き方をしている。
誰からも束縛されずに、自分の好きに生きる、自由といえば自由だ。
しかし、この映画はそうしたことだけを、フリーダムとしているのではないと思える。
例えば、旅先の農夫の家で、昼食を共にしている場面。
キャプテンアメリカことワイアットと、農夫が会話を交わしているが、農夫は都会に憧れを抱いてはいるが、典型的な保守的な人。
妻や家族を愛し、決して裕福な生活ではないが、満足して幸福に暮らしている。
ワイアットとは、まるで正反対な生き方だが、ピーター・フォンダ演じるワイアットは、少し角度のついた淡いサングラスの奥から羨望のまなざしを向け、リスペクトしながら農夫の幸福に理解を示している。
そうした生き方にも、そこに自由があると肯定するように。
自由とは、自分の欲望の赴くままに行動する事ではなく、足るを知り、否定なく、相手や周りを束縛する事なく、幸福に導くものでもあると思う。