東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

スポーツ観戦から・・・7

おはようございます。

 

3日くらい前から高校野球の甲子園大会も始まった。

暦の上では立秋を過ぎたとはいえ、この猛暑の続く中、選手たちは勿論、客席で応援している人達も大変である。

くれぐれも御自愛いただきたい。

 

最近の高校球児は、クリクリ坊主頭ばかりではなく、おしゃれで大人びた高校生が増えたが、まだまだ成長期であり身体が出来上がっているわけではなく、ややもすると局所疲労から野球肩、野球肘なども発症させやすい。

 

高校球児に限らず、少年野球、中学の部活と、野球をやっている若い人は多いが、競技人口が多い分、不調を訴えている人も多い。

肩、肘の痛み以外にも腰や膝。

痛みは不快であり、心を不安にさせる要因でもあるが、反面その痛みは恩恵的サインと捉えることも出来る。

 

痛みを感じ、痛みをとおして生き方の間違いに気づけるから、生きていられる。

特に、若い人の場合は、これからの人生をより良く生きてほしいが為に、生命活動のちょっとした間違いでも、それに気づいてほしくて、からだがあえて強い警告を発している、といった面もあるように感じる。

 

そうした観点に立てば、ただ痛みを止めるだけの治療ではなく、間違いを正してほしいというからだの要求に応え、警告としての痛みも消失していくのが望ましいと思う。

実際、操体の臨床(治療)というのはそうである。

からだの要求に応え、動きやそれに相関する呼吸を正していくのは被験者(患者)本人であり、それによって治しをつけてくるのは本人のからだである。
操者(施術者)はそのサポートに徹するのみ。

 

からだの要求に応えていくなかで、必然的に警告は止み、被験者本人は感覚をとおして何らかの気づきを得る。

その気づきは、その後の人生に活かせるものであり、より良い自分自身への生まれ変わりの瞬間でもある。

操体臨床には、そうした良さもある。

 

一週間のお付き合い、ありがとうございました。
来週は畠山裕美先生の担当となります。
どうぞ、おたのしみに。