おはようございます。
テレビでスポーツ観戦していて、よく「感覚」という言葉を耳にする。
特に、良い成績を残した選手へのインタビューの時に、耳にしているように感じる。
これは、良い成績を残す選手ほど、自分がやっている、自分で動かしているではなくて、からだがやってくれた、からだが動いてくれたといった身心一体の感覚を感じているからなのではないかと思える。
実際、コンマ何秒のうちに、頭で考えてどの様に身体を動かせばいいかと動いていたのでは、その場面に十分な対応はできない。
からだが自然に反応し、動いてくれるから出来る事。
また、自分の意向による動きも、無意識のうちにも、その動きをからだがサポートしてくれているから、可能となっている。
そして、そのからだの動きは、自分の意図する動きよりも先に生じているというデータもあるという。
日常生活でも、何かにぶつかりそうになったり、何か落ちてきたり危険を感覚的に察知した時には、既にからだが動いてくれていたという経験は誰にでもあると思う。
その時のスピードというのは、自分で動こうとして動いた時よりも数段早いという。
また、火事場の馬鹿力というのを経験した事のある人もいると思う。
そうしたケースでは、筋力がどうのこうのといった頭の理屈はとおらなくなる。
からだの秘めた潜在能力、からだに宿る生命の記憶というものは、もの凄いものがあると思う。
そこに触れるには、自らのからだにききわける感覚の勉強が大事だと思う。