2023年1月からNHKで放送されたドラマ「大奥」は、コミック版の愛読者であった私にとっても衝撃であった。
映像の美しさと再現度と、キャストのすごさ。
徳川吉宗役の冨永愛が馬に乗って浜を駆けるシーンを観ると
「だ、男女逆転の『暴れん坊将軍』観たい・・・!」とマジで思った。
カテゴリーとしてはSFになる。
江戸時代初期、若い男性ばかりがかかる「赤面疱瘡」という病が流行り、若い男性が減ってしまう。そんな時、三代将軍、家光も赤面疱瘡で亡くなってしまう。そこで、一計を案じるのが、春日局だ。家光の乳母でもあり(世の中には家光は家康とお福、つまり春日局との子という説もある。真偽はともかく興味深い)、戦乱の世を終わらせた大御所家康を心から尊敬している。大御所様が作ったこの徳川幕府を守るため、家光が市井の女性に産ませた娘をさらってきて、男装させ「上様」として過ごさせる。その「上様」のために選ばれたのが、公家、万里小路家の三男で、現在は出家して僧侶である有功(ありこと)だった。有功は、実の親に金子で売られる形で、大奥にやってくるのである。
というわけで、なんで大奥と正座なんだよ、と言われそうなので、本題に戻るが、
「正座」の由来を聞いて驚いた。
正座がポピュラーになったのは、江戸時代の初期だと言われている。
元々正座のように、膝を曲げて座る坐り方は「危座」と言われ、罪人に苦痛を与えるための座り方だったらしい。
そういえば、江戸時代とかの拷問シーンで、膝の上に石を乗せられるのがあったし、お白州では罪人は縛られて正座だ。
また、あぐらよりは姿勢がよく見え、美しく見えることもあるらしいが、一説によると
春日局から幼少時から厳しく躾けられた家光は、この「危座」をさせられていたらしい。
つまり家光は「危座」で、足が痺れるという経験をしているのだ。
そして家光は、家臣の裏切りを非常に怖れていたので、急に立ち上がって襲ってこないように、危座(正座)を命じたらしい。
そうなってくると「目上の人の前では危座する」というのが通例となってくるわけだ。
さらに、明治になって「危座」ってなんだか聞こえがわるいので「正しい座り方=正座」になった、という説が。
そうやって考えてみると、平安時代の女房達は、十二単の下でどうやって座っていたんだろう?
調べてみると、韓国の歴史ドラマの女官のように、片膝を立てていたらしい。
ついでだが「光る君へ」で紫式部を演じている女優さんの写真を、清少納言を演じている女優さんがリツイートしていた。
十二単を着た姿で移動せざるを得なくなり、十二単を脱ぐか、運ばれるか、の二択で「運ばれることを選びました」と、十二単姿で台車に乗って移動している写真だ。
平安時代も台車があったら便利だっただろうな、と思う。
2024年秋季東京操体フォーラムは11月23日、ルーテル市ヶ谷センターで開催致します。