朝目が覚める。
朧気な意識で生活が始まる。
昨日とほとんど何も変わっていないような今日。
でも昨日までの何かがリセットされているような気もする。
昨日感じていたこと、昨日思っていたこと。
それらのことが、憶えていることもあるけれど、どこかにいってしまったような気もしてくる。
忘れてしまったことも忘れてしまったくらいに、変化が通り過ぎていく。
カーペットの端がわずかに、折れているのが目に入る。
まぁ、ちょっとのことだからあとで直せばいいかなと思う。
こういったことは拾い上げていくとキリがないくらい生きているなかで無数に生まれている。
そんな頭のなかの選択の繰り返しで生活が織り上げられていく。
最近この「ちょっとのこと」がちょっとのことではないように感じられる。
わずかなことと認識していた程度のものでも、塵のように度々頭のなかをよぎる。
そして、このちょっとのことが生活の中に堆積していくような気がしてくる。
あとでいいかなというような選択は次のあとでいいかなという選択に繋がっていくような感触がある。
いま気が付いたことに、いま臨むのは最初ちょっとエネルギーを必要とするきもちが生まれる。私はそうだ。
重い身体を動かして、ちょっとのことに対応しようとすることに、正直躊躇する自分がいる。
コケの散策などで、しゃがむ機会が増えたからだろうか。
ここのところ、ちょっとのことに向かっていく耐性みたいなものが少しついてきたのかもしれない。意外と、最初の気付きに対応できれば、その後もすらすらと気付きに応じていけるような感触が生まれてくる。
不思議なものだ。
朝目が覚めて、
朧気な意識で生活が始まる。
最初に気が付いたちょっとのことに臨む。
そのことが自分自身の生活を支えている空間の健康学のようなものに繋がっているのではないかと感じられてくる。

