観葉植物に水をやり、葉っぱを皮膚にみたて指先の感触を楽しんでいると 以前、診させて頂いた人のことがうかんできました。
その方は、皮膚に問いかけた操法後ベッドのふちに腰掛け この観葉植物をみて
「みどりって、みどりなんですね」と言っていた。
意味不明のようだが、なんとなく何を言おうとしているのかは伝わってきた。こちらに来たときとは顔つきも、声のトーンもまるで変わっていたからです。50代の女性なのですが、少女のように瞳がキラキラして なんだか感動しているように見えます。
その人が言うには、今までは、のっぺらぼうな感じで 緑色のトタン屋根や看板も木々も緑も同じ みどりとして見えていたのだそうです。
眼ではきれいに見えていても、常に心配事を抱えているが為 心にひびいていなかったのだろうか。
それとも、からだからの感覚情報を無視し続け頑張りがすぎた、あるいはそのような状態に自分で追い込んでしまった為、心とからだのあいだに溝ができ いままできれいに見えていたものもきれいと感じられない それとは逆にからだを動かそうと思っても、今回の主訴のひとつのように、痛むとか違和感はないのに歩き出そうと思っても左脚が金縛りにあったように動かなくなってしまう時があるというような状況になっていたのだろうか。
本人としても、除霊してもらったほうが良いですかねとも言っていたが。
いずれにせよ、気持ちよさを聞き分け、味わうことで現象は大きく変わるようです。
友松 誠