東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

将棋?

通勤電車中、JR山手線の吊革につかまって本を読んでいたら、前に座って将棋の本を熱心にながめていた男の子が、突然立ち上がって私に席を譲ってくれようとしている、一瞬何が起こっているのか把握できずに戸惑っている私がいました。ーーーーなにしろ初体験でしたのでーーーーありがとう!とてもいい子でした。


唐突ですが、私は、羽生善治という棋士がなぜか好きです。将棋はほとんどわかりません。しかし、彼の話、彼のことについて書かれた本を読んでいると、とても心地よいのです。
以下は、保坂和志著 「羽生(最善手を見つけ出す思考法)」 光文社知恵の森文庫 からの抜粋です。少し長くなりますがお付き合いください。
将棋は日本固有のゲームである、という言い方はマイナスなんだと羽生は気がついた。
ではどうすれば、将棋環境の保護を解き、将棋を開くことができるか?羽生が見つけた答は、将棋が他のジャンルと同等の、きちんと考え、論ずるに値するゲーム=ジャンルなんだという了解を作り出すということだった。
人は将棋を指しているのではなくて将棋に指されている。一局の将棋とは、その将棋がある時点から固有に持った運動や法則の実現として存在するのであって、棋士の工夫とはそういった運動や法則を素直に実現させるものでなければならないし、そのような指し方に近い指し方のできたものが勝つはずだ。
将棋というゲームの奥行き、広がりは、個人の人生よりもはるかに大きい。したがって棋士は棋風という個人のスタイルを持つのではなくて、スタイルを乗り越えて、持てるものすべてを投入して、将棋の法則を見つけだそうとする必要がある。そのとき、これまで常識とされてきたすべてのことが再検討の対象となる。羽生善治の将棋が、将棋の常識をただ身につけていくのではなく、自分なりの言葉で丁寧に考え直す作業を通じて熟成していったものなのだということが理解されると思う。

羽生は自分から大局観という言葉を使わない。・・・・また大局観という将棋言葉から離れて、自分なりの言葉で〈形〉と言ったり〈流れ〉と言ったりする。〈形〉と言っても〈流れ〉と言っても、人にじゅうぶん伝わるわけではないが、それでも羽生にとっての゛大局観゛の構成要素がなんなのか、少しは゛言語化゛される。「少し」ではあっても、大局観という言葉をそのまま使いつづけることと、構成要素を別の言葉に置き換えることとには、態度として大きな差がある。それは羽生が、自戦記で対局中に考えていたことをかなり率直に書いたり、感想戦でも惜しげもなく自分の読み筋を披瀝することとも共通する。そういうことすべてを通じて、羽生は自分の将棋観を人と共有し、将棋に関して言語化されていない部分を減らしていこうとしているのだと思う。

長々と引用しましたが、我らが師、三浦先生と通ずるところがあるとおもわれませんか?!フォーラムに、講習に参加したことがない方、ぜひ一度いらしてみてください。惜しげもなく、すべてを披瀝してくださる師がきっといらっしゃるはずです。

つたない文章にお付き合いいただきありがとうございました。次は岡村さんです。お楽しみに!


鵜原 増満





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