2008年5月4日(日)、東京操体フォーラム2日目(東京千駄ヶ谷津田ホール)。仙台温古堂で、5年間橋本敬三医師のお世話をしていただいていた今美代子氏と、橋本敬三先生の愛弟子である三浦寛理事長との対談が行われた。
今美代子:宮城県仙台市出身。1983年温古堂の受付嬢兼先生のお世話係として活躍。『操体法治療室』(たにぐち書店刊)に、“受付のミヨちゃん”として登場する。東京操体フォーラム顧問、今昭宏氏の奥様。二男の母。その歯に衣着せぬ絶妙な語りは会場の爆笑を誘う。
三浦寛:東京操体フォーラム理事長、操体法東京研究会主宰、人体構造運動力学研究所 所長。宮城県出身。赤門柔道整復学校在学中に、橋本敬三の内弟子として、操体を学ぶ。23歳の時、橋本先生の命により東京都世田谷区で開業、現在に至る。今昭宏顧問はじめ、東京操体フォーラム実行委員は操体法東京研究会のメンバーとして操体を学んでいる。研究、執筆と若手操体指導者の育成に多忙な日々を送っている。
司会(東京操体フォーラム 理事・副実行委員長 福田勇治)
今美代子さんを紹介します。今日は遠方はるばる仙台からお越しいただきました。今美代子さんは五年もの間人間橋本敬三を間近に見てこられた唯一の方です。貴重なお話が聴けることを楽しみにしています。それでは宜しくお願い致します。
三浦:ミヨちゃんです。私の妹です。何故妹かと言うとね、公私に渡って非常に長いご縁があるんですよ。三浦寛は今美代子に深く関与してきました。美代子さんは、実は当フォーラムの顧問である今先生の奥様です。橋本先生は85歳の時に現役を引退されました。その時、橋本敬三医師の代診として、私が今先生を温古堂に紹介したわけなんです。今先生と私のご縁というのも、今先生が赤門※の学生のころから東京の僕の所に来て操体を勉強してらっしゃったんです。橋本敬三先生と操体を通して、お互いに温古堂診療室で学びあってきた兄弟弟子なんです。そんな時、美代子という、非常にユニークな女性が温古堂に入ってきた。そうすると、温古堂の空気が変わってきた。何ともいえず、ほっとする雰囲気に変わってきたんですね。ミヨちゃんが温古堂の職員として採用されたのは、確か1983年、橋本先生が85歳の時、同年1月にミヨちゃんが採用され、その四ヶ月後に今先生が橋本先生の代診として入ってきたんだ。橋本先生が85歳から91歳位までミヨちゃんは橋本先生のお世話をして下さった訳だけど、ミヨちゃんは僕ら弟子が経験することができないような橋本敬三との接し方を体験したと思うんですけどね。医者としての人間像ではなく、橋本敬三そのものの姿をミヨちゃんに話してもらいたいんだよ。
※赤門鍼灸柔整専門学校。三浦・今共々こちらの卒業生である。
今美代子:皆様、改めまして。今ご紹介頂きました、今美代子と申します。よろしくお願い致します。ここに来る前、色々打合せをして、何を話そうかと思ってはいたんですが、当時の記憶をたどり、思いつくままにお話させて頂こうかと思います。この空気、ちょっと緊張しますね(笑)今日は息子に付き添ってもらっていますし・・。長男です。
三 今貴史(たかし)さんです。今年から赤門の柔整の一年生です。僕としてはいい後継者ができたな、何とか操体の道に入ってきてもらいたいなっていう希望はあるんだけど。こちら長男の貴史さんです。
会場拍手。貴史氏、立ち上がって「よろしくおねがいします」と挨拶
★温古堂に入った経緯と結婚
三 ミヨちゃんが温古堂の職員になった時、橋本先生の面接を受けた時の事を思い出して話してもらえる?
美 私、歯科医院で、歯科助手の仕事をしていました。そこに通っていらしたご婦人がいらっしゃいまして。丁度その病院をやめて違う歯医者さんに行こうかと退職を決めた時に、そのご婦人が、「あなた、ここやめるんですって?」と話してきまして、はい、って言ったら「それじゃうちのおじいちゃんの所へ面接にいらっしゃい」という話をされたんです。
三 承平さんの? 橋本先生のご子息橋本承平さんの奥さんですね。
美 そうなんです。その歯科医院によくいらしていて、それで12月の暮れに面接に行ってきたのです。温古堂って言われても何が何だかわからないし、東洋医学の世界は全くわからないので、取りあえずいいや、面接だけでも受けてみようと思って・・・。温古堂で、おじいちゃん先生が目の前にいらっしゃって。私、元々東洋医学って何だか辛気くさいと思っていて、暗い世界というイメージがありまして、「ああ、ここか」っていう感じだったんですが、何も話すことなくて、だまっていたら、先生が「お前で五人目だ面接者は」って言われて・・・・。
三 ははは。五人目か。みんな蹴ったんだ。
美 そうしたら、帰りに「おまえ正月明けたら来いや」って言われたんです。何で私?って思ったんですが、お正月明けから勤めさせていただくことになって、どうして私でしたか?って聞いたら、お前の笑顔がよがった、と言われて。それで、温古堂に入ることになりました。
三 はははは。すごい殺し文句だな。不思議なんだけど、橋本敬三は何でもミヨちゃんの言うこと聞くんだよ。やっぱり年をとると、逆らってちゃ生きていけないから、自分の世話を親身になってやってくれる人には、何でもはいはいって素直に言うことを聞くと得するんだ。そっか、笑顔が気に入ったんだ。
美 (すこし照れて)一応先生からはそう言われました。まあ、受付と先生のお世話役ということで、そこから温古堂生活が始まって。
美 でもですね、最初にいたのが今先生ではなく、A先生だったんです。
三 ちょっと暗いんだよね。彼。
美 はいちょっと。(橋本)先生の怒鳴り声の中で四ヶ月位過ごしたんですね。
三 その、橋本敬三の怒鳴り声っていうのはなに?どんな事で怒鳴ってた?
美 患者さんにたいして怒鳴ってました。「ひとのいわねぇごと、やんな」って(笑)
三 他には?「いくら言ってもわかんねぇ!」って言わなかった?
美 ああ、それもありますね。そういう暗い雰囲気の中、A先生がやめることになりまして、そうすると、温古堂の後継者がいない、ということで、温古堂を閉めようかという話になったんですね。で、その時の雰囲気と先生の怒鳴り声と、結構無理難問を言う先生だったもので、少し嫌気がさしていて(笑)、勤めて三ヶ月くらいで、もう元の歯医者さんの仕事に戻りたいと、気持ちがそちらに動いたんですが、そこへ余計な事を言って下さった三浦寛先生っていう方が、今先生を紹介して下さって(笑)。
三 承平さんが俺のところに電話を入れてきたんだよ。「父、敬三が現役を引退するんだけど、暖簾はそのままにしておきたいから、橋本敬三の代診になれるような人材はいないか」ってネ。その時に、あ、今さんしかいないって思ってね。で、今さんに電話して一寸行って面接受けてくれないかっていう事だったんだよ。ハ、ハ、ハ、ハ。すいませんね。
美 いいえ(笑)。でもそこで私の運命が分かれてしまいまして。今先生っていう方がいらっしゃることになって、その前から今先生は赤門から時々見学にいらっしゃっていたんです。色々な人がひっきりなしに見学に来ていらっしゃったんですが、その中の一人でしたね。そして、今度今さんという方が入りますよ、ということになって、私、やめる理由がなくなってしまったんですよ。
三 よかったね。本当にめでたい、めでたしでした・・・。s
美 ええ(笑)。その時、今さんという方と三浦先生をはげしく恨みまして(笑)。でも今先生が入ってから温古堂の中がすごく明るくなりまして。おんころや先生の会話も増えて笑いもとっても増えて。そこへまた色々なお客さんがいらっしゃって結構和気藹々と。皆さん何日間か滞在していかれるので、一緒に夜の町へ繰り出したり、そういう日々を過ごしました。
※おんころや先生:橋本先生の事。翁(おう)先生と呼ぶ方もいる。
三 ミヨちゃんが温古堂に入ってさ、何年目に今さんと結婚したの?
美 二年目くらいですね。
三 青木のママ(橋本先生のご長女)が温古堂の側に住んでるんですよ。俺の所に電話がかかってきて、「ちょっと三浦さんきてくれない?」って。「あの、今さんと美代子さん、どうにかしてくれない?」ってネ。何で?って聞いたら「いや、仲良すぎる」って。で、俺、今さんにに「結婚しろ」って言ったんだ。
美 あはははは・・・・。
三 お前ね、そんなに仲良くしてて結婚しなきゃミヨちゃんに包丁でさされるぞ、っておどしたことあるよ(笑)
美 今先生にはちゃんと付き合っている方がいらっしゃいまして。
三 ああ。それは聞いていたよ。
美 私も、ちょっと息子がいるんで言いにくいんですが(会場爆笑)、私にもちゃんとおりまして。
三 いやな、貴史といういい息子を目の前にしたら、その彼と別れてよかったろ(笑)
美 お陰さまで(笑)。翁先生(注:橋本敬三医師)が美代子と今君はとにかく結婚しろよと言われまして。「はあ?」っていう感じで。で、「美代子、お前はきかない(きかんぼう、気が強いの意)」、で、今君は優しい、と。だから、お前達はバランスがとれるんだから、それで結婚してお前達が温古堂の跡を継げと。 隣に橋本外科の若先生、信先生(橋本敬三医師の長男)がいらしたんですけど、温古堂を継ぐってことを条件に仲人するっていう話になって。それで結婚いたしまして、別れることなく現在に至っております。可愛い息子にも恵まれまして。はい。
三 もう一人の息子は中学何年だっけ?
美 三年生です。
三 三年生になったのか。一寸小柄でなかなか背が伸びないって本人は気にしてるんだけど、それがね、お地蔵さんのような愛くるしい顔してるんだよ。なかなか可愛い次男坊なんだよね。それじゃ、続きに行きましょうか。そういうことで今さんとミヨちゃんが目出度く結婚するっていうので、ちゃんと礼服を着て橋本先生と腕組んで結婚式に行ったんだよ。
そういうわけで、今さんとミヨちゃんが結婚したわけなんです。
★橋本敬三先生の日常生活と秘密
三 この後ビデオ流すけど、その中で橋本先生がミヨちゃんに手を引かれて治療所に姿を現わすんです。それから大きな火鉢の前に座るんですね。その時にミヨちゃんがやることがあるんですよ。何かっていうと、整髪。櫛で髪の毛を整えてあげる。それには順番があるんだって。そういった事をちょっと話してもらえる?
美 橋本先生はかなりお洒落で。(三浦、頷く)いつもシャツを着たら必ずスカーフをして棒タイ(ループタイ)をするんです。それをすごい数持ってまして、今日の洋服にはこれ、みたいな選び方してましたね。先生が選んでました。それで、朝温古堂に着いて先生が指定席(火鉢の前)につくと私が必ず髪の毛をセットしなければいけなくて、そのセットの仕方も必ず順番が決まっていまして、最初は頭にリキッドを。先生はすごい“ひよこ頭”なんです。
三 ひよこあたま?
美 ぽしゃぽしゃ、毛がない(笑)そのひよこ頭にいつも決まった銘柄のリキッドをつけて、最初は後ろから前へ全部もってこないといけないんですね。そこから七三に分ける。最初こっちに、それからこっちに、櫛の線がぴーっと入るように流して、そこから今度こっちから斜め45度にたくし上げなきゃいけない。それから脇をぴっとやって、眉毛をやってヒゲをやって、完成(会場笑)。それが朝のお仕事です。
三 橋本先生は必ず、診療室の座布団に腰を据えてまずお茶を飲んでらしたようだけど、どんなお茶飲んでたの?
美 それはですね。仙台に井ヶ田(いげた)っていうお茶屋があって、そこの、もの凄く高いのを。100グラム、聞いてびっくりして下さい。600円です。(会場笑)一号芽茶っていうのがありましてとにかくそのお茶しか飲まないんです。とにかくそれが好きで。
三 そういえば機嫌が悪いとお茶がらみでミヨちゃんにあたるっていう話を聞いたけど?
美 一号芽茶というのは、淹れたてはすごく濃い緑になるんです。置いておくと沈殿する位に。それを竹べらで混ぜて飲むのがお好きだったんですが、そのお茶を何回も入れた後も急須の中に入れておくんです。
三 出がらしってやつだね(笑)
美 それをすぐに取り替えると、怒られるんです。勿体ないって。それもかなり葉っぱが開ききっているのに、ある日おい美代子、そのお茶で一番濃いお茶を淹れてこいと。(三浦、会場笑)どこをどうやっても一番濃いお茶なんて出るわけないじゃないですか。どうしたもんかと最初は可愛らしく悩んでみたんです。でも毎回出がらしのお茶っていうと、お湯を入れてシェイクして、暫くの間シェイクしてそれで満足して飲んでくれたんですけど、その日は何故か機嫌が悪くて、濃いお茶じゃないとダメだ、って。その開ききった葉っぱで淹れろと。最初は初々しく困ったなあと思ったんですが、こう、むかっ、むかっという思いが私の中に発生しまして(笑)、出来るわけがないじゃないかと。それで、それでもやれと先生が言い張るもので、だったら、先生が淹れて、(三浦・会場爆笑)私にお手本を見せてくださいと。それで出来たら私もやるよ、「ハイ淹れてみて」と。そしたら、イヒィっと笑って「葉っぱ替えてもよろしい」(会場爆笑)。
三 なるほどね(笑)。弟子にはそういった姿は見せないしね。やはり可愛いミヨちゃんにはだだこねたり無理難題をふっかけてたんだね。それで、医者としての橋本先生はさんざん我々も見ているけれど、女性の目からみた橋本先生っていうのはどんな印象なんだろうね。
美 素敵です。可愛いです。あの笑顔を見せられるとね、メロメロっとなりますね。あの怒った時の表情と満面の笑みが極端なんです。怒った時は鬼じゃないかと思うような形相なんですね(笑)。そこまで怒らなくてもいいじゃないか、っていうくらい。でもそれは本気なわけではなくて、ただ自分の思いを訴えたいだけなんです。
三 先生の怒り方ってのは、絶対根に持たないのね。からっとしてるんですよ。もう次の瞬間忘れてるっていうね。本当に可愛い先生だと思いますね。従業員として見た、医師、橋本先生ってどんな方でした?
美 医者としては追求し続ける姿勢がありました。若い人の話も聞くし、色々な人の話も受け入れるし、自分がこうだ、これが正しいっていう押しつけはしないで、自分自身で思ったことをとにかくやってみろと。それでウソかホントかやってみて、その結果を自分で受け入れなさい、そういう教え方をどの人にもしていましたね。
三 ああ、本当に橋本先生の口癖はね、我々に指導する場合でもネ、ウソかホントかやってみてから言えと。やってもみないでなんだかんだと理屈を言うなってネ。
美 そうですね。ヤジウマ根性っていう言葉を常々言われてましたね。
三 で、誰が一番ヤジウマ根性旺盛かというとね、俺だ、って言うんだよね。儂(わし)が一番ヤジウマ根性旺盛だと。それがね、上に何か付くんだよ。「ずるいヤジウマ根性」。ずるい、って言うんだよね。ずるさがないとヤジウマ根性も板につかないと、ね。ただのヤジウマじゃダメ。やっぱりそれは探求心だろうね。
橋本先生が温古堂の診療室で日々、日常これはかかさずやる、っていうことは何かあるかな。
美 橋本先生はとにかく花が好きで、「とにかく花を見て怒るやつはいないんだ」と。とにかく幸せな気分になると。先生の座っているところから正面に草花が飾ってあるんです。それが見える位置や角度にもこだわりがありまして、1ミリずらしてみたり。何をやってるかと思うと、自分から見える一番いい位置を探すんですね。ずらしては座ってみて面白くないと立ってまたずらして。あれはいい運動ですね(笑)
そういうのを繰り返しやっていて、あとは目の前の灰皿の上に繭でできたニワトリがありまして。(注:『操体法治療室』の『温古堂ものがたり』にも登場)ひよこの形をしたような落花生がありまして、それをキレイに並べたり。その位置関係が大事なんですね。(会場爆笑)それをきれいに並べてないとだめなんですって。雑然としているんですけど、先生なりのこだわりがあって、位置がこう、びしっと決まってるんです。
三 確かにそんなことあったな。それじゃ橋本先生の癖って?側にいて何か気がつくことがある?
美 常に耳をこすってました。耳を常にぱたぱたぱたぱたと。耳って確か柔らかくないとだめなんですよね。常にマッサージしてました。それから耳がもの凄く大きいんです。内緒話にならないんですね。よく聞こえるんです。
(前半終了)