世間では、Anti Agingが謳われている。高齢化社会における具体的な眼目の一つに挙げられている。
私はその全貌を知らないが、私の解釈によれば、その本質はNatural Agingではないかと思っている。
人生において、確かなことは「生まれる」と「死ぬ」だけである。こればかりは仕方がない。また、誰にも平等である。
そこで、多くの人々が望むことがいわゆる"ピンピン、コロリ"、即ち、死の直前までは健康でピンピンしていて、その期が来ればコロリと逝く、である。
私は、若い頃には漠然とスポーツ医学に興味があった。実際に勉強してみると、大きく分けて、競技スポーツのための医学と、健康増進のためのスポーツ医学があることがわかった。
私はどうやら後者に対する関心が深い。
これは、治療医学だけでなく予防医学とも密接に関与しており、これぞ自分の進むべき道だと思った。
いかに健康に生きるか。
仏教では、「生・老・病・死」を四つの苦しみとして教えている。
そもそも"健康"とは何か?
WHOの健康の定義を持ち出すまでもないが、この問いに答えることは難しい。
健康といっても、晴れる日もあれば、曇る日もあり、雨の時もある。それが暴風雨や大災害にならない様にコントロールすることが肝要なのである。これが未病医学である。
また、健康に気を使いすぎて、危うきに近よらず、というのもつまらない人生である。
私は、20代の後半に『朗らかに生き、健やかに老いる』という(自分だけの)キャッチコピーを作った。
人生の中で目標(あるべき未来、志)を立て、それに向かって邁進する。その過程において、自分の仕事(workやjobではない、将に「事に仕える」ことである)に支障を来たさない様に心身をコントロール出来ていること、これぞ“健康”ではなかろうか?
その頃、相前後して、橋本敬三先生の遺稿に出会った。 時空を超えて百万の味方を得た気がした。「救いの生命感」「60点でいい、間に合っていればいいんだ。」「息・食・動・想・環」「自力自療」「治しはからだがつけてくれる、治すことまで関与するな。」・・・・・どれも、治療者としての私を安心させてくれた。
操体医学は深い、一生楽しめる、というのは本当である。しかし、深い実践がないと楽しめない、というのも実感である。
「きもちよさで治る」と言うが、何でもいいから気持ち良くすれば治る、というものではない。理に適った仕様に法らなければ実現するものではない。
Natural Agingに対する答えの一つが、確実にここに在る。
「美味いか、まずいか、まずは“野次馬根性”で食ってみろ!」と、現代人に向けて、橋本先生が祖神の里から微笑かけておられる様な気がする。
山野真二
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