東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

操体庵ゆかいや物語(20)


     
      カメムシの“お引っ越し”
                 佐伯惟弘

「誰じゃ、ワシを起こしたんは!!・・・ええ気持ちで寝とったのに!・・・・ワシは、美山ちゅう食べ物のいっぱいあるとこで、大好物の柿をたらふく食べてナ・・・・ほんで、雪の降る間は、茅葺きの家で寝とったちゅうに・・・・

何ちゅうこっちゃ!・・・・気がついたら東京のド真ん中におるやんけ!!」

3月に美山から東京・世田谷に引っ越しした際の段ボールにまぎれ込んだカメムシのカメ八。その怒りは治まりそうにありません。

「あのドアホが!・・・・だいたいナ、ワシらは4月末までは冬眠せなアカン。カメ一からカメ五一までの兄弟と仲良う寝とったんじゃ。
それを、よりによって末広がりのええ名前をもろた、このカメ八が・・・なんでワシだけが・・・うう〜許せん!!・・・・ワシらが子どもの頃は、スギやヒノキの球果の汁を兄弟仲良う吸って大きうなったんじゃ。」

と、身の上話をはじめるカメ八。

「ほんで、スギの球果がようけ出来るちゅうのは、植林されたはええが、人間どもが、手入れをせんようになったんが原因じゃ・・・・ええか・・・スギも好きこのんで、球果つけて、スギ花粉飛ばしとるんとちゃうで!・・・・想像してみい、狭い場所に何本も植わったモヤシのようなスギを・・・・“このままやと、死んでまう!”と思て、子孫を残すために球果つけて、スギ花粉飛ばしとるんじゃ!

考えてもみてみ・・・・ええ環境で1000年も生きとるスギが100年やそこら経ったくらいで、実やら花やらつけたりするわけないやろ!
ましてや、毎年つけたりする訳ない、ない、ないじゃろが!!!

スギやらヒノキやらを植えたら、金をやるちゅう戦後、日本政府の愚策に踊らされて、田んぼにまでスギを植えるアホが出おって・・・結果、花粉症じゃの、カメムシの大量発生じゃのぬかして、ワシらを目のかたきにしおって!!・・・・そんなん、おまえらの勝手じゃ。悪いのは、おまえら人間のほうじゃ!!!」

なるほど、カメ八の言い分には説得力があります。もう少し聞いてみましょう。

「ついでに言うとくけど・・・・スギやヒノキは昔の木や。
昔、栄えたけどホンマならもっと少ないはずじゃ。
今の気候で、シイやカシみたいにドングリのなる木と競争してみい・・・・スギやヒノキは負ける。
当ったり前じゃ!
スギやヒノキみたいな小さな実は成長がおそいんじゃ。ドングリのパワーに勝てるわけないじゃろ!

それで、わざわざ苗木にして人間が植えとる。
ところがじゃ、手入れをしてへん!!
スギ、ヒノキはまっすぐ上向いて伸びる・・・・それに対して根っこは2mほどの深さで横に伸びて倒れんように頑張るんじゃ。

ところが、手入れをしてへん山は、四方八方にスギ、ヒノキが生えとるので、根っこは横に伸びとうてもからまって板状になる。
そんなとき、大雨が降ったらえらいこっちゃ!
たった2mの深さの板のダムは、水をためこんだまま決壊するで!ほんなら、えらい土砂災害になってまう!
ただ、何とか持ちこらえとるのは、シイやカシみたいな広葉樹の深い根っこが残っとるからじゃ!」

少々あきらめ顔のカメ八。

「もうええワ・・・・日本政府の愚策をカメムシが嘆いてもしゃない・・・・それにしても、この四畳間、居心地・・・・思ったほど悪うない。
漆喰の壁やし、畳も新しい。美山ほどじゃないないが、結構静かじゃ。
美山の家は、すき間だらけやったおかげで、家の外にはいつでも出られたが、こっちではアルミサッシの窓でカギまでかかっとる。
これじゃ・・・外にでれへん!!!

もっとも、外にでたとこで、ワシの食いもんはない・・・いや・・・あのドアホが言うには、松陰神社前通りに新鮮なくだものがあるそうじゃ。
なにせ、キュウイ2個、ババナ1房で200円。

お〜〜〜〜〜〜あのドアホが疲れた顔で重そうなリュック背負って帰ってきおった!手には、近くのスーパーでこうてきた切り干し大根、納豆、豆腐に竹輪・・・・・美山に居るときと同じもんこうとるワ。・・なにせ、冷蔵庫もない・・・テレビもない・・・・50過ぎのおっさんがする生活とちゃうで!!
まあ〜そんなことは、どおでもええ〜〜〜逃げるンは今じゃ!!!・・・行くで〜・・・ほな、さいなら!」

カメ八、“ドアホ”が帰ってきた空(す)きを見つけて、低空飛行。
なんとか脱出成功のようであります・・・めでたし、めでたし。