東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

操体庵ゆかいや物語(21)


       岩下・・・・・ゴメン
                   佐伯惟弘

仰臥位膝1/2屈曲位での足関節外反の操法
三浦先生が正座をされている両膝に、私は足底をのせ仰臥位膝1/2屈曲位のままで、動診をおこなっている時のことです。

「佐伯、アレ見てきたか?」

「・・・・はっ?・・・・ああ〜ミロですか?」

動診から操法へ移行中、三浦先生が私に話しかけるのは、初めて。
しかも、授業中他の受講生の目の前での事、まさに前代未聞でした。

多分、私の顔にミロの絵が映っていたのでしょう。夜行バスで京都から新宿に早朝着き、東京大丸ミュージアムまで直行。10時の開場と共に、たっぷりとミロの絵を見てきた後の、講習会だったのです。

それというのも、数日前に畠山理事から「東京大丸ミュージアムでミロの展覧会やってるよ。」というメールを戴き、是非とも“会いに行こう!”と思い、デートの前のワクワク感に浸ったあげく、デート三昧。様々な思いを巡らした後だったのです。

どういう訳か、私の人生の節目に、ミロが関与しています。

以前にも書いたので、余り詳しくは語りませんが、幼い頃、ミロの絵を見て描くことの楽しさを知り、1970年の大阪万博で、ミロの壁画を見て楽しくて、嬉しくてからだがユルユルになったのを覚えています。
見た瞬間、からだが反応する絵って素晴らしい!

あの当時の私にとって、からだが必要としていた反応だったのでしょう。

9年前には、ニューヨークの画廊で、ミロの絵に出会い、「芸術の世界から離れなさい!」という啓示を受け、操体の世界に身を置くようになります。

その後、三浦先生の勧めにより美山に帰り、知人の蔵(私は蔵で寝泊まりしていました)にあったミロの画集から、再びミロを勉強することになりました。
そこで、無性にミロに関する文章を書きたくなり、書き殴っていた頃、美山で出会ったスペイン人アーテイストから、ミロ財団の奨学金の情報を戴きました。

その文章を英文にし、応募。
すると受かってしまい、スペイン・マジョルカ島のミロ美術館で子供を対象としたワークショップを2ヶ月に渡って行いました。

そこでの、2ヶ月は実りあるもので、バルセロナのミロ美術館からも学芸員がやって来てかなりの評価を得ていました。ところが、幸か不幸かその最終日に、私は、“あるヘマ”をしでかしたのです。

それで、バルセロナのミロ美術館での活動は無くなり、私は日本にすんなり帰り、より早く操体施術の世界に身を置くことが出来たのです。

それはさて置き、東京大丸ミュージアム・ミロ展覧会での事。
数十点ある作品は、マジョルカ島のミロ美術館からのものではなく、バルセロナのミロ美術館(マジョルカ島バルセロナにミロ美術館はあります)のものでした、そのため多くの作品は初対面の作品。
ところが、見覚えのある一つの作品が私をじっと見つめているのです。

「あれ、どこかでこれ、見たことがある!」

しかし、ミロの作品群から醸し出される波動に身を置いていると、そんな些細な想いはどこかに捨て去られ、マジョルカ島での出来事、出会った人々の事など、様々な記憶が、浮かんでは、消え、また浮かんでは、消え・・・・心地よい時空を楽しんでいました。

ふと時計を見ると正午近く。
あわてて、三軒茶屋のターミナルビルへと向かいました。
1時から操体の講習がはじまるのです。

その講習で、三浦先生の「佐伯、アレ見てきたか?」
発言があったのです。

授業が終わってからも、やけに先生の言葉が耳に残り、頭の中をゆっくりと巡っていました。
私はどこかに置き忘れた記憶をたどり、うつむきながら、ただただ歩く。

すると突然、気になっていたミロの絵が、Tシャツの絵柄となって私の目の前に出現。

「あっっ・・あの絵って、岩下のプレゼント!」

気になっていた絵は、私の友人、岩下徹(舞踏集団・山海塾のメンバー)がスペインで公演した時、わざわざ私のために、バルセロナのミロ美術館で買ってくれたTシャツの絵柄だったのです。

そのことに気がついたのは、キャロットタワーの入り口、背筋がぞっとするようなシンクロナイズでした!

キャロットタワーは、2001年、私がアメリカから操体を学びに帰ってきて、小用のため初めて立ち寄った場所。

そこで、偶然にも上演されていたのが、岩下徹の属する山海塾「卵を立てることからー卵熱」。
帰国早々、親友・岩下徹と再会することが出来たのです。

これで、全てが結びつきました。
岩下が、初めての海外公演でバルセロナに行き、バルセロナのミロ美術館で私の大好きなミロのTシャツを購入。そして、私にプレゼント。

2000年、私はそれを大事にアメリカまで持っていったにも関わらず、離婚という憂き目の中、そのTシャツをアメリカに置いたまま、一人帰国。

あの絵柄のTシャツは破棄されているはず。

大事にしていたTシャツが、三浦先生を介して、最後の別れに来たのです。
それで、よくわかりました、あの絵が放つ鋭い視線の意味が・・・・・・・・

      「岩下・・・・・ゴメン」