東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

操体庵ゆかいや物語(19)


             操体庵ゆかいや物語(19)
                 渦状波(2)                  

さて、昨日に続きまして、渦状波のお話。

一年程前から、私のからだは、快適感覚に対して“無意識の動き”をつけてくるようになってきました。
これは、動診から操法に移行して快適感覚をゆっくりと味わっている時に、突然現れます。

例えば、仰臥位で動きの操法を受けているとき、首が「カクカク」と動き始めたかと思うと、骨盤が震えるように上下運動を繰り返す。今度は、手掌が大きく開いて前腕が伸展し、それにあわせて全身が波打つようにうごめく・・・等々、全く予想もしないような動きが現れては、落ち着き、再び現れるといった状態になります。

1960年代に天才舞踏家・土方巽(ひじかた たつみ)が暗黒舞踏なる踊りを創り上げました。
これは、胎児を彷彿させるような踊りで、現在では“舞踏(Buto)”として世界的に知られています。
“生命とは?美とは?動きとは何か?”を問いかけ、日本人のからだを培った風土に肉薄するような踊りです。
重力に逆らい、より高く飛び跳ねることに美を見いだした西洋バレエ。その西洋的形式美のノド元にドスを突き刺すような、強烈なインパクトの“舞踏”。
三島由紀夫も絶賛しました。

しかし、これはいくらリアルに踊っても演じていることは事実です。
とかろが、快適感覚をききわけ、味わっている時の無意識の動きは演技ではないのです。からだが必要あって創りだしている現象なのです。

観客からお金をいただいて、見て貰っているのでは無く、勝手にうごめく生命体が存在しているだけ。この無意識の動きこそ本物の“舞踏”だと私は思います。

よく、臨死体験をした人が、魂(意識体)となってからだから抜けだし、自分の肉体を眺めた“幽体離脱”のことを語っています。
また、実行委員のなかでも、睡眠中に体験されている方が数名います。

“舞踏”的無意識の動きが、始まった時、多少、この“幽体離脱”に近い感覚に襲われます。
もっとも、“幽体離脱”の体験がない私は、どんな感覚かよく分からないのですが・・・あくまで、“多少”そんな気がするだけです。

といいますのも、事の推移を非常に客観的・第三者的に見つめている自分が、自分の肉体の中か、あるいは、外にいる感覚が常に存在するのです。そのため、無意識の動きの最中でも、他人との会話は当たり前に出来ます。つまり、からだの動きは、からだに任せっきりになるので、逆に魂としての自己がからだを冷静にみることができるようなのです。

まあ、そんな日々が続くある日、三浦先生のプライベートレッスンを受けている山本実行委員の授業に参加する機会を得ることがありました。私は、実験的なモデル。

「佐伯の右頚椎5番から6番を触ってみろ。」

仰臥位で、まな板のコイ状態の私に、早速、師匠の指示。

山本さんのやさしい指先の感覚が伝わってきます。
数十秒程経ったでしょうか、いつものように無意識の動きが出現。
その日は、いつになく激しい動きです。からだ全身を使って大きな8の字を描き始め、まるで自分が龍になったような感覚。

ただ、「右の頚椎に何か違和感があるな〜」という思いは付きまとっていました。
すると何を思ったのか、からだが、急に左の頬に息を吹き込み始めました。

「なんじゃ、これ!一体どういうこっちゃ?」

目をつむったまま、ぼんやりと光を感じていたはずの視界が、突然真っ暗闇。
それと同時に、あざやかな青い色彩があちらこちらで、輝いては消え、輝いては消え・・・・

突拍子もないことが起こったため、山本さんに伝えようとしても、息がつまったままなので、
「う〜〜ふ〜〜」
くらいしか言えません。
益々、左の頬は大きくなり風船状態。

「ひょっとこみたいなおもしろい顔してんな。これは、きっと右頚椎のコリに対して、左の頬の一点に息を入れてふくらませてるんやなあ〜!」

と冷静に判断し、しかも自分の顔の表情が客観的に見えるような不思議な状態でした。

しかし、益々左の頬は大きくなって、息が全く出来ません。パニックで大騒ぎになっても良さそうなものですが、この“からだの修正フィードバック”体験をワクワクしながら楽しんでいる自分がいるのです。

破裂寸前にまでなって、今度は急に息を吸い込み、一気にはき出し始めました。
すると、今までの真っ黒い映像がこげ茶色、そして深緑へと変化し、青色の輝く星が、ピンクや黄色の星へと変化。

ゆっくりと長い呼気が続き、やがて顔全体が鼻の真ん中に集約し、今度は、入れ歯を外した老人・・・いや、漬かりすぎた梅干しになった感覚。

梅干し状態の顔をハッキリ見ている自分がいます。

中央に集約されるだけ集約された顔の次にとった行動は、頭頂部とアゴを上下にゆっくりと伸ばすことでした。
すると、今までシワの一部だった一直線の目が徐々に下弦の月になり、目を閉じたまま上を見る状態(多分、白目をむいていた?)。
そして口は、
「ほ〜」
というような形で下を向き、アゴと一緒に下へ引っ張られていきました。

その時の瞼に映る映像や色彩は、余り定かではありません。記憶が薄れているということは、茶色っぽいままだったのかも知れません。

しばらくこの状態が続き、静かに、静かに元の状態に治まり、瞼に映る像は、金箔がたなびく様な明るい色を示してくれました。

そして、まるで仏様になったような、穏やかでありがたい気持ちに満ちあふれたのです。

こうして、授業は終了したのですが、余りにも強烈な体験であったため、私の顔の様子をスケッチして残したくなりました。
その絵が、これです。




数日後、三浦先生にこの絵を見て戴いたところ、

「おお〜、この通りだ、こんな顔をしていた。」

とのお言葉を戴きました。やはり、私の魂が天井付近でこの様子を眺めていたのかもしれません。
それにしても、不思議な体験でした。ブログを読んで戴いた方に、その様子が上手く伝わったかどうかは分かりません。
しかし、私の意志とは全く関係なく、からだが勝手に歪みの修正フィードバックを行ったことは、お分かり戴けたと思います。

これから益々、操体に於ける皮膚へのアプローチ(渦状波)は、人智を越えた展開を遂げる可能性があります。

環境が皮膚に及ぼす影響、表皮機能の再生機構研究などで海外からも高い評価を得ている傳田光洋氏。氏が出版された「皮膚は考える」岩波新書は、渦状波を科学的に解明してゆく手だてになります。

興味のある方は、お勧めいたします。ではまた明日!


佐伯惟弘