おはようございます。
昨日、第3分析(D3)、渦状波®について少し書きましたが、実際に臨床で被験者(患者)の方の皮膚に接触し、そこから感じとれるものからは、メカニズム的に言い表せるものではなく、生命そのものの生といった印象を受けます。
そして、操者(施療者)として触れている自分自身も、思考的意識が消えていき、こちら側もその感触をただただ味わっている状態となる。
そして、操法終了後は、こちらも何か癒された気持ちになり、心もからだも軽くなっているのを感じます。
10年以上前に、三浦寛先生は「操体臨床の道しるべ」という著書の中で
「操体は、自然法則の応用貢献の場である、太極という無極無限の宇宙現象創生の中心理念に基づいて、その生かされし救いの生命観に学ぶ場である。
操体の臨床とは、快適感覚と一体となり、快に帰すことにある。操者の存在も快に帰して無になり成り立たなばならない。患者も操者もともに快に調和していくのである。それが操体臨床の成せるところなのである」
と書いております。
この文章、テクニック的に捉えて皮膚へのアプローチを行っている人ではなく、渦状波®または渦状波®から応用して皮膚へのアプローチを行っている人は理解できると思います。
接触する指先にだって相応の意味がありますものね。
そして、今回のテーマであった「憶の快」につうじるものがあると思います。
これは、自分の立場から現象を考えるのではなく、からだの立場に立って、現象を現象とさせている実相に想いを馳せることが必要だと思います。
実相とは何ぞや?
それは、からだがしっている。「憶の快」とはからだの無意識が常に触れているものかも?・・・。
一週間のお付き合い、ありがとうございました。
明日からは畠山裕美先生の担当となります。
来週も東京操体フォーラム実行委員ブログ、よろしくお願いいたします。
友松 誠。