東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

 操体庵ゆかいや物語(18)

こんにちは!
今先生のゴールデンウィークブログ“神人さんのコンサート”に引き続き、これから1週間のお付き合いを任されました佐伯惟弘です。
よろしくお願い致します。

それにしても、今先生の“ゴールデンウィーク=ブログお休み”って感覚、ずいぶん新鮮!
家族想いの今先生らしい1週間でした。

でも、今先生ファンの私としては・・・ゴールデンウィークに少しだけ文句をいいましたけど・・・。

さて、今日は“母の日”。
昨日送った花束が、最愛の母に届いているはずです。
私の母は病気らしい病気をしたことがありません。いつも、笑顔で前向き、人の悪口をほとんど言いません。そして、驚くほど小食。
私が大きなケガ、病気をしないで、健康に過ごしていられるのも、そんな母のおかげ。本当に感謝しています。

しかし、母親に比べて、私に足りないのは笑顔。なかなか眉間のシワが伸びません。
せっかくの“母の日”。
母親の笑顔をイメージして、楽しいブログをお送りしたいと思います。

前回(2008年12月)の私のブログ、ちょっと肩肘を張りすぎたかな?
ブログ終了後は、充実感以上に虚脱感を味わってしまいました。

そこで、今回は、心地よい“快”が残り、しかも充実感のあるブログに仕上げるよう心掛けています!
それでは、スタート。

           操体庵ゆかいや物語(18)
               渦状波(1)
                  

三浦先生の著書“快からのメッセージ”―たにぐち書店―を読まれた方で、渦状波に興味を持たれた方は随分いらっしゃると思います。

特に「弱者のからだ」をもつ被験者が、皮膚をとおしてききわけた感覚の一例(p166〜168)をご覧になった方は、半信半疑ではあったものの関心を持たれたはずです。たとえば、

からだが無意識に動く。
色と光を見ている。
笑い出す等々。

そして、三浦先生は、5例ほど実例をあげておられます。ただ読者の方々にとっては、文字だけの疑似体験。

何のことだか本当はピーンとこないはずです。
確かに、一般的な常識からはかけ離れた信じがたい現象のように受け止められても仕方がありません。

そこで、私の体験談を、今日と明日の2日間に渡って出来るだけ忠実に語ることで、渦状波を誰にでも起こりうる現象として感じて戴きたいと思うのです。

とは書いてはみたものの・・・文章にすれば、するほどウソっぽくなってしまいそう、・・・まあ〜信じて戴けなくてもいいっか!


今から8年前の初夏。

私は、骨董品屋と見間違うような三浦先生の治療所の片隅に正座。
師匠の臨床をただ、骨董品になりきって見学するのが日課でした。
しかし、その日は臨床も終え、火鉢をはさんで師匠の正面に座っておりました。すると、

「佐伯、向こうに行って寝てみろ。」

私は師匠の言われるままに高さ70センチ程の治療用ベッドの上で仰臥位になりました。

「足趾の操法をする。」

師匠は、おもむろに私の足元に立ち、両足の第1趾を拇指と示指でつつみこみ、静かにそして丁寧に揉み始められました。
心地よいリズムがつま先から伝わり、からだ全身がゆったりと湯船に浸かっているような感覚。
そして、気持ちよさがからだに充満してきた時のことでした。

師匠は、ピタッと足趾を揉むことを止め、それと同時に、つま先から頭の天辺までゆっくりとした大きな波を送りながら止める動作をされました。

すると、つむっている瞼のウラで感じていた暖色の視界が、突然、漆黒の闇夜へと変わって行き、一筋の光と同時に激しい風が疾走。
そこに、映し出されたのは、黒々とした美しい波形の砂漠。
サラサラと舞う砂がとてもリアル。

あまりにも強烈な映像に驚きつつ、
「う〜ん、あれは小学校の時に見た、ウオールト・デイズニーの“砂漠は生きている”の一場面そっくりやなあ〜。」
と冷静に思い出している自分がいました。

ただ、初めて味わう感覚だったため、びっくり仰天。思わず目を見開いてしまいました。
そのとき、師匠の目と目が合ったのですが、映像のインパクト強すぎて、それからの記憶が定かではありません。
その後、黒い砂漠の映像が、浮かんで来たのか、来なかったのかそれすら覚えていません。
足趾の操法が終わり、

「佐伯は、左足の第4趾(がよくない)。」

とおっしゃったのを覚えているだけでした。

これが、私の渦状波体験のプロローグ。
私に起こったのは、“納めの間”(一つの操法をしめくくる際、操者が脇をしめ肘が正中線を向くようにして、約12〜3秒静止する動作)での一つの現象にしか過ぎなかったのです。

それから、数週間後、師匠は実験的な渦状波を思いついたらしいのです。
再びベッドで仰臥位になった私のからだ二カ所に、両手を置き、その渦状波は始まりました。

被験者の私も、目をつむったまま、一体何が起こるのか興味津々。
師匠の暖かい手掌の感覚がここちよく伝わり、ゆったりとし始めた時、

「あら〜〜、また〜〜」

まぶたのウラは、暗雲と共に、墨汁のようなにわか雨が降りそそぎ、日暮れ時から一気に暗黒の闇。
全く光を感ずることができず、暗闇に沈んでいく感覚。

不安がよぎったその瞬間、右斜め上から一筋の光が射し込んできました。
次の瞬間、光源は途絶えますが、真っ黒な画面の中央水平線に一筋の光が残っています。
そして、それは徐々に揺らぎ始めたのです。

「ああ〜分かった!これは、真っ暗闇に映し出された海のさざなみや!」

深海の海溝から眠っていた龍が、いつ現れても不思議ではないような怪しい海面。

漂う光は、いつしか一本の蛇行するクッキリとした線へ変わっていきました。
すると今度は、その光の線が震え始め、次第に激しい振幅に変化。

まるで、ウオールト・デイズニーの“フアンタジア”で交響曲が織りなす音の波形を映像化した一場面とそっくり。
ただし、“フアンタジア”のような色彩はありません。そして、波形は水平ではなく垂直に山と谷。
しかも、徐々にその山は中央部に高く集まってきて、まるでエベレスト。

その激しくうごめく波形を見ていると、思わず笑いがこぼれそうになります。それどころか、大笑いしたくて、したくて・・・・でも、師匠の前で、そんなことはできません。笑いをこらえるのに精一杯。

しばらく、その葛藤が続きます。葛藤が収まるにしたがって、徐々にその波形が穏やかになってきました。
そして、最後には一本の水平線が暗闇の中央に漂い、そして、消えたのです。

実に絶妙なタイミングで師匠の両手が私のからだから離れて行きました。

「うっっっそ〜〜!出来すぎ〜〜。」

と思わず絶句しそうになるも、やはり師匠の前では、ただ沈黙を守るだけでした。
しかし、この実験的施術終了後、私は一気に語り始めました。私の言葉足らずな説明では、うまく伝わらなかったかもしれません。
それでも、師匠は淡々と聞いて下さいました。

「先生、何故だか分からないのですが、可笑しくて、可笑しくて、笑いたくて仕方なかったんです。」

思わず、本音がポロリ。

「バカ!!そんな時は笑え!!」

と一喝されてしました。
そうだったのです、あの時笑えば良かったのです。笑えばどんなに気持ちが良かったことか!
小さな自我のせいで、初めての渦状波体験を素直に受け入れられなかったことを、少々悔いています。

しかし、それよりも、あの強烈な光のダンスを見ることが出来たことに感謝するべきでしょう。
“快からのメッセージ”p167に書かれてある“皮膚につけてくる感覚”の
・ 色と光を見ている。
・ 笑い出す。
という言葉を文字通り理解できたのですから。

まだ、渦状波を体験されてない方には、多分信じて貰えないと思います・・・でも、少しは信じます???
いや〜、三浦先生だから出来て、普通の人には絶対出来ない!!と思われる方が多いと思います。
実際、この体験をしたとき、私はそう思いました。

ところが・・・現在、私の操体臨床では渦状波が5割以上。その多くの被験者の方々から、様々な現象をお伺いすることができます。

さて、皆さん・・・それでも、信じます?信じません?
明日は、益々信じて貰えないような渦状波体験を紹介してみたいと思います。お楽しみに!