東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

メッセージを受け取るのは・・・

湘南に朝がやっってまいりました!皆様おはようございます。
気持ちが良い朝です、日々心して使わせて頂いた一週間の朝でした。

皆様の朝も、日々気持ちが良い目覚めでありますように!!

〜今週の夢日記より〜

『・・・ある星があった。
 かすかな光しか持たないために、誰にも知られず、孤独なのであるが、
 太陽の光を借りて、成長は続いており、
 少しずつ脱皮しながら、変化していた。
 その変化は理由があった。
 それは、何かしら役に立ちたい、という願望のなせる力であり、
 そのためには、タフであり続けることが、できたのである。

 その星の名は、
 今では立派な名前が出来て、多くの生物に愛されている。
 ・・・”地球”というのだ・・・』

いわゆるまどろみの中、夢精に近い状態での頭が書き留めた僕の妄想です(笑)
点と線そして面へ、立体へと繋がっていけば・・・更なる展開(四次元?)が待っているのでしょうか?
降りてきて羽はなくなったけれど、いずれ天空と星空の守り人になってみたいものです。


”クーソー(空想)はアタマのコヤシです”

意識して磨き上げれば、”紙一重まで”バランス現象はあると思いますし、
それさえ意識できれば、捨ててしまうのも拾うのも許されているのは“ヒト”でもあります。

アインシュタインも、
「科学者の栄光は自分の立てた仮説が、後からやってくる、
 より包括的な理論の中の一部分に妥当する理説として生き残ることだ」・・・といっております。


仮説を立てて、まず検証してみる。
例えば、
よく聞くのが、「何となくOO」とか、「生理的にOO」という言葉。
一体どうしてそんなことがわかるのだろう、一体どこで感じているのだろう?

何気なくそんなことを女性スタッフに聞いてみると、
”即答”で、「やっぱり皮膚じゃないですか?」と、教えてくれた。

“勘”、“思いつき”、“インスピレーション”、
“何となく”、“虫のしらせ”、“胸騒ぎ”
“偶然”、“夢”、“天の声”、・・・・。

何となく気になってしまうことや、心に引っかかること。
単純に予感なんだけど確信に近い感じ・・・。
そんなことって、無駄なことではない筈なのです。
やはり、”からだ”が教えてくれる大事なメッセージでしょうネ。

ある日の三軒茶屋レッスンの帰り道でも、
「ハッと何か閃くことがあるだろう?」
「そんなときは“立ち止まって”メモを取り出すんだよ」
「そのまま後で思い出したら書けばいいや・・・なんて思っていると忘れちゃうんだよ」
と、教えてくれました。

先日の経験ですが、
自転車で江ノ島まで走りながら、自分の発表テーマについて考えていまして、
しかも、言葉に出して話していたら、(要するに独り言です)
自分でも惚れちゃうくらいに素敵なメッセージをしゃべっていたんですよ!
それで、
帰ってから書きとめよう!ムフフ〜な〜んて思っていたら・・・ほとんど綺麗さっぱり!
忘却の彼方へと旅立ってしまったのでした(涙)
そういえば、
DNAの発見も夢に現れた螺旋図が、元になったらしいですからね(へェ〜へェ〜)


大いなる夢を抱く。抱いた夢を夢で終わらせない。
そのためにも妥協してはいけないことがある。

有り難いことに”師”は、
先人として常に前を見つめ、ひたむきに歩み続けてヒントをくれる。
そして操体を通じ、輝かしい希望を抱かせてくれるのです。

僕たちも、この「Message from "KAI"」に適うように、
それぞれに真摯に受け止めようではありませんか。
そしてそれは、
”自分自身のため”でありながら、”自分自身を超えていく”ことでしょう・・・。


三浦寛著 たにぐち書店刊 「快からのメッセージ」247〜248Pより抜粋>

「〜前略〜 
 私は十数年前に『魚の命は水にある』という名訓を知りました。
 自分の ”イノチというもの”は、
 このイノチを ”生かしてくれているそのものの存在”にあるのだと言う意味です。
 
 このイノチを生かしてくれるという大存在とは、この ”宇宙という生命”であり、
 イノチそのものが ”私のイノチを生かしてくれているそのものの存在”であるという認識に立つこと、
 そして、『報いの生命観』から『救いの生命観』に目覚めることが必要になってくるのです。
  
 最後に、操体のいきつくところは ”心の調和、心の制御のあり方”だと思います。

 それは医学の進むべき道とも言えるでしょうが、
 今の治療医学では現実の問題として対処しきれない数々の問題をかかえこんでいます。
 
 たとえば延命治療としての医学は限界があります。
 死にゆく人に対しての心の医学、甘く眠る、 ”ねむるがごとき死を迎えられる”ような甘瞑の医学、
 ”人の生死観をとおした人間学”が問われる時代に入っているのです。

 ヒトは死のキャリアをもって生まれてきます。
 医学も、医者も、この死という発症(キャリア)を止めることは出来ないのですから。
 
 しかし、操体では ”肉体の死を死としてとらえていない”のです。
 帰一の法則としてとらえているのです。

 帰一とは、命あるものは ”無条件の愛”から生まれ、そして、その神性に帰って行くことなのです。
 ヒトは ”一番気持ちがいいところ”から生まれ、
 そして、”一番気持ちがいいところ”に帰っていくのです。
 
 これが ”帰一の法則”です」・・・と教えてくれました。

 (注:失礼ながら文章に、岡村が ””を入れさせて頂きました。以下の文章も同様です)


 そしてあの、宮沢賢治氏も、

「世界が ”ぜんたい幸福”にならないうちは、個人の幸福はありえない。

 自我の意識は、”個人”から”集団社会”、”宇宙”と次第に進化する。

 この方法は、古い聖者の踏み、教えた道ではないか」・・・と書かれています。


”自然法則”を説いて下さっている先輩方の、含蓄ある経験に基づく言葉にゾクゾクしませんか?

シビれませんか!?思わずイッチャイそうです!(何が?ってアレです)
江ノ島近辺でクラゲに刺されたことよりも(笑)、ず〜っと疼きますし痺れますネ!!

それでは今日はこのあたりで後始末(何の?)をしたいと思います。
皆様のこれからの人生も、なにかに痺れていますように!!

この一週間、ある意味勧誘よりしつこい(笑)しかも長い文章ばっかりの(爆)
”マジックリン”岡村にお付き合い頂きまして、
本当〜にありがとうございました!

そしてバトンは、誰が呼んだかフォーラムの ”静かなる熱き漢”こと、
次週から登場の甲斐田実行委員デス!!
皆様が楽しみにしている続き・・・も、どうか宜しくお願いいたしますゥ!