皆様おはようございます。今日も天気の良い湘南から6日目をお送りいたします。
昨日私がお休みでしたので、夏休み最後に家族全員で海遊びに行って来ました。
そよぐ潮風にあたりながら行う、”般若身経”は何とも言えず気分が良いですネ。
9歳と7歳になる娘達は、
巻き貝(タニシみたいな)・蟹(沢ガニみたいな)・小魚(シラスみたいな)ものから、
クラゲまで捕ってきてバケツ一杯になるまで誇らしげに見せてくれるのですが、
2歳の息子はそれらの生き物を棒でつつき回しています。
なんだか縄文時代のDNAなのかもしれないナ・・・と潜在的逞しさを感じさせてくれました。
自然に親しむのはやはり良いですね。
カラダになにかの、スイッチが入るのを感じます。
勿論、”仙人”ともなればどこにいても同じなのかもしれません・・・(三軒茶屋に行くとそう思います)
と言うのも、”不自然な自分”に何となく憤りを感じながら、
僕自身、ここしばらくの間、何かが気持ちが悪い状態に陥っておりました。
それが先週、
急激に何か”スコン”と落ちたように、ストレスとスランプが音を立てて同時に頭の中が抜けおちたのです!
種を明かせば、
”あるコメント”を三浦寛理事長から頂いて抜けられたのですが、
それを解消する過程においてのヒントにしているのが、今週のブログ内容なんです。
僕のスランプは、目の前で起こっている現実を素直に受け入れることが出来ず、
ある部分(自分にとって都合がよい)は受け入れていながら、ある部分(都合が悪いこと)は拒絶していたんですから。
要するにアレは良いけれどこれは・・なんて考えないで、
「やりたいことを見つけるのに、一番良い方法は、やりたくないことを考えていくこと」でもあるんですね・・・。
このような環境を生み出してくださっている”神チャマ”に感謝します。
真剣に問いかけ続ける良き師匠に恵まれて、
素晴らしい学び仲間と共に頭をぶつけて励まし合う事が出来る。
一人で考えていたら十年先・・・イヤ、二十年先になっても気がつかないような、そんな自然法則に出会うチャンスを頂いている。
ご先祖様のお導きもあるでしょうし、遺伝子の働きによって行われていることなのかもしれませんが、いずれにしても有り難いことです。
そして、
出会いのチャンスと言えば、(女性との出会いに夢中になったりはしませんヨ)
中谷実行委員に紹介して頂いて、ある研究会に参加させて頂くようになりました。
このチャンスよって、操体の”動”の基本である”身体運動の法則”をより実践しながら体感し、
裏と表の立場から、かえって結びつきを理解できてくるのではないかと”ヤジウマ”させて頂いています。
「アンテナが敏感で良いですね〜」と話をしていたら、
「フフフ、昔は三拍子そろってましたから・・・」と、謎の微笑みを浮かべる、
陰のオフィサーこと中谷実行委員。
秋のフォーラムでは、トンチとパンチの効いた?発表内容で私たちをノックアウト!してくれるに違いありません!?
嗚呼!本当に11月が待ち遠しくなってきましたね〜。
(詳しくはこのホームページ上にて今すぐチェック!!)
さてここからは(長くてすみません)、本日のメニューにお付き合いください。
今の時代、自宅で亡くなるというのは難しい。
ほとんどの場合、病院で死を迎えることになるんですが、本当は自分が住み慣れた家で最後を迎えたい筈です。
そう思っても現実的には、死の瞬間を選ぶことはできないのでしょうか?
僕の祖父は亡くなる最後まで「郁生〜爺さんはね、家に帰りたいんだよゥ」と話していました。
そして実際に家に帰っては(二人暮らし)、また入院を繰り返しておりました。
その理由は、祖父の場合にはモルヒネの誤・乱用でした。
末期ガンの痛みを取るのに処方箋以上の分量を用いたらしく、いわゆる幻覚症状や、
興奮作用によって危ないヒトになってしまうのです。
「もっとくれ!まだ痛いんだからもっとくれたらもっと楽になるだろう!もっとくれ!〜」と、
家人が止めるのも聞かずになのです。
”痛み”というのは、
かなり医療の分野においても研究が進んできております。(需要が高いからでしょう)
そして、解明されつつある部分の中で、
かなりの部分が”本人の情動”にも関与しているとわかってきました。
つまり、
自らが作り出している”現象”としての”痛み”の側面が解明されてきたというわけですね。
しかしながら、
痛みの緩和に対して、今でこそ”情動面のアプローチ”が有効であり、かつ重要とわかったとしても、
では実際にどうアプローチするのが良いのか?
ここまで細分化されてきた医療システム全体として、現時点では未だホスピスや、医療の現場において”十分な対応”が出来ているのでしょうか?
(勿論、それを可能としている先進的取り組みもあると思いますが、十分とは言えないでしょう)
その為にも、
医療という枠組みを超えていく大きなチャンスが、すぐそこに待ち構えている筈です。
そして、
これからの医療を見つめるのに”皮膚”は非常に重要なキーワードになってくるのではないでしょうか?
だからこそ私達も、希望をもって学び続けていきたいですね。
わかっている時点でお話しさせて頂ければ、要するにこういう事もあるのです!
”外からの刺激”では限界を生じてしまう。
だからこそ、”刺激にならない”ことを、大事にしていく。
”刺激”では、ヒトを・・・イノチそのものを、本当に納得させることは困難です。
この問いかけに、
個人的にも、祖父が身をもって体験してくれたことにも、絶対に答えを出していけるように!!
学びの機会を頂いているんだから!せっかく頂いたことに責任を持ちたい。
(僕は決してあきらめないからね。決して!妥協しないからね、ありがとう!)
学んでさえいれば、何一つ無駄なものはない。
経験させてもらえること、その意味を学びのプロセスのなか、考えていくこと。
また、ある患者さんから聞いている話のなかで、
医師から五回も「危篤です」と言われて、脳死と言われて「ご臨終です」といわれたのに、
また復活?された方のお話をつい最近、お聞きしたのです。
それが本当に不思議なんですが、
”十年間寝たきり”で四肢麻痺、胃瘻で人工呼吸器を通しているような状態だったらしいのですが、
頭、つまり意識だけははっきりしており、亡くなられるまでお話も全く普通に出来たらしいのです。
危篤から戻るたびにその方は、
「弟が(先に亡くなっている)忙しいから兄貴も手伝いに来てくれよって言うんだ」
「飼い犬も俺の近くまで来てくれて、花が咲いて本当にキレイなところに居たんだ」
「でも、こっちでオンオン泣く声が聞こえていて孫のことも気になるからまだ行かない
そう弟に言ってやると、気がついたら戻っているんだよ」
・・・なんてことを”淡々”と(さも当然のように)話すのだそうです。
脳死と診断され息を吹き返した時は、
完全に脳波や自発呼吸、瞳孔反射も消失していながら、霊安室に運ばれていく途中で、
そのお話をしてくれた方が(義理の姉にあたる)
「OOさんもいい人生だったよね〜みんな子供はしっかり家庭を持っているし、
本当に”孫も可愛い”よね〜いい人生だったよね〜」と、話しかけていたところ、
急に目玉がキョロキョロと閉眼したまま動きだし、
本人も奥さんもビックリして担当医に伝えたところ、「そんなバカな・・・」と、
脳波と脈波をチェックしたら、またもや波形が戻ってきて、生き返った?そうです。
そして本人曰く、
「いや〜弟がまた来ていたんだけど、急にどこかから孫のことが頭に入ってきてねェ、
こりゃまだ行かん!と弟に言ってきたのさ」と、話していたのだそうです。
ウ〜ン・・・脳死に関する法案が国会を通り、臓器移植がこれから始まる世の中になっているわけですが、
こんなことを聞いてしまうと、考えてしましまいます・・・・ね。
その方曰く、「ヒトは結局”自分の意志”でどうにでもなる部分が大きいのよね」とのことでした。
であるならば・・・やはり(チョット強引な結びつけ?)、
自分の”からだ”とは、最高によく出来ている”良いからだ”を頂いたのだ!と、
常に、自分自身が本気で信じていたほうが勿論、ハッピーですね。
生まれた後の”後付け”の病名や、一時の経過にすぎない疾患に固執したり、
自らの心まで囚われたりしない。
人に言われたガッカリすることよりも、まず自分自身が”からだ”を信じていける幸せ。
これを本気で、”サラッと”当たり前に伝えられる、
実際に具現化出来る・・・ような臨床家であり続けたいものです。
それから、私のアンテナに引っかかった本ですが、奄美大島のルポを朝日新聞の記者が書いています。
「揺れる奄美、その光と影」 〜稲野慎著〜南方新社〜
ヒトが生きているとはどういうことなのか?をダイレクトに問う内容でした。
そして、
書き手の体験した言葉から、浮き出るような感覚としての波動となって僕の”ジェミニィ”に訴えてくる。
***『人とのつながりをイメージすることは、人々の心を安定させ、
同時に自らの存在に感謝するという仕掛けになっている』***
奄美大島では現在も、自宅で死を迎えるのだそうです。
この島民には当然であって、入院している患者は、死期が近づくことを自分で悟るそうです。
「アンマ(=お母さん)ありがとう」と、認知症の方であっても、そう言って亡くなる人が多く、
ほとんどは穏やかに、病院から自宅に帰って、普段の生活に馴染むまでの間を家族とともに慈しむようです。
それは“がん”患者も同様で、
自分で死の時期を悟ることで退院して、自宅でほぼ二週間で亡くなる。
だから、病院にあって当たり前である霊安室はないらしい。
そしてとにかく最期には、「ありがとう」という美しい言霊を放って旅立っていく。
そのような環境にあっては、若く元気な方でも死を恐れてはおらず、“死とは永遠の里帰り”と考えているという。
そう言えば、
橋本敬三師も、亡くなる前に「祖先の里へ帰ります」とお話していたといいます。
以前フォーラムの次の日に開催された三軒茶屋ライブにて、今顧問からお聞きした話では確かこんな感じ・・・でした。
今センセ「センセーあの世ってどんなところなんでしょうね〜」
翁先生「それは、気持ちがいいところだぞ〜」
今センセ「どうしてなんですか〜?」
翁先生「だってそれはみんなが行くところなんだから、気持ちがいいところに決まってるさ〜」
それを聞いた今先生は、はっきりと言ってくれた翁先生の言葉にありがたくなってきて、とってもいい気分になったんですよ〜。
・・・という内容であったと記憶しております。
ちょっと話題の方向転換させて頂いて振り返り、自分自身に更に問う。
どうして自分のコトもわからないのに、相手のコトを知ったりわかったり出来るのか?
肌を通じて、同じ空気を吸って、同じ食物を摂っているはずのイノチ、
本当は常にそばにいて、気持ちも体温も通っている環境にいるイノチ同士なのに、
何故、それほどまでに距離を隔ててしまうのだろうか・・・。
例えば、
ヒトを人種や性別、様々なことで区別することはためらっているのに、
何故、病気は病名はヒトを区別するためにあるのでしょうか。
それほどまでに区別して、一体最期には・・・何が待っているのでしょう。
人を想う心の現れが、自分と他者を繋いでいく絆となるように、
自分自身が生まれてくることの出来たこの環境で、“想い”を具現化していく。
このニッポンという東の果て、社会の礎に結びついているのを大事にしたい。
そんな想いに、生かされてみたいのでした。
この世界の創造したという、“神ちゃま”にお願いしたいこと。
「お願い致します、まだまだ勉強させて下さい!」
だって、一生楽しめるんだからな〜・・・、ですよね!橋本敬三先生。
それでは今日も長々とお付き合い頂きまして、ありがとうございました。
今日も一日、お元気でッ!いってらっしゃい!!