東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

眠りへの瞑想

 昨日に続いてもうひとつ、瞑想の話題を。

もう、ずいぶん前になるが、ある瞑想の手ほどきを受けたことがある。それは意識して眠りに入るというものだった。毎日眠ってはいるが、まだ眠りに遭遇したことはない。眠りを見届けたことなど一度もない。眠りが何であり、それがどのようにして訪れ、その中にどのようにして落ちてゆくのか、それについては何も知らないのが我々である。
 毎夜眠りに就くとき、眠りが訪れているということや、それが訪れたときにも、覚めたままでいなければならないということを、絶対に憶えておくという瞑想であった。この練習はとても骨が折れる。眠りが訪れているということ、そして目覚めていることなしには、眠りがやってくるのを許さないということを片時も忘れずに毎日続けていくのだ。眠りがどのようにして支配的になるのか、眠りとは何なのかということを感じ取るようにするのである。
 この瞑想を続けていくと、ある日、眠りが訪れても依然として目覚めているようになるという。そしてこの瞬間こそ自分の無意識に気づく瞬間であり、夢が不可能となる。ひとたび無意識に気づいたら、もう二度と無意識ではいられない。眠りはそこにあるのだが目覚めている。このような無意識との遭遇から異質の現象が起こるのだと教わった。
 こんな瞑想を三カ月も続けただろうか。しかし、眠りが訪れるその瞬間に気づくことはなかった。いつのまにか眠りに入り、夢の中で眠りに遭遇し、その夢から覚めて、ああっ! 夢だったのかと、落胆する私であった。

 そんなことがあってから長い年月が流れた先週のことである。午前中に来訪された五十代の患者S氏へ渦状波を試みたところ、イビキ音が聞こえてきたところで、話しかけてみた。「今、眠っているようですね」、「ええ、そうみたいです」、はは〜ん、これが『意識飛びの現象』か?・・・・ひょっとして、と思い、さらに問いかけてみた「眠りに入る時はどんな感じでしたか」、「意識が遠のいて・・・・それを意識している自分がいて・・・・」と、S氏。
な、なんということだろう。 眠りが訪れている時に意識があるということ、そして眠りに入っているのを自覚している。このビジョンは私が求めていたものにきわめてちかい。これが即、無意識との遭遇とは云えないまでも、少なくともその入口に立っている。そう思ってもかけ離れた考えとは言えないだろう。
この出来事によって、皮膚への問いかけというものが「眠りへの瞑想」という扉を開けてくれたような気がする。皮膚にはきっとすごい秘密があるに違いない。