ドラッグと瞑想から眠りへ、そして目覚めから呼吸へとつづく。
眠りと目覚めは、有機生命体の呼吸であり、そして時間も呼吸である。人間と同一の単位で計れるすべての有機体、植物も含め人間と類似した条件下で生きているあらゆる有機体にとっては、一日の時間はすべて二十四時間になる。
植物は眠っている時には、つまり夜には息を吐き、起きている時、つまり昼間は息を吸うから、人間と同様すべての哺乳動物にとっても夜と昼、つまり眠っている時と起きている時では、酸素と二酸化炭素の吸収には相違がある。したがって眠りと目覚めは確かに呼吸であるということがわかる。人間以外の有機生命体はとりわけ植物については、一回の呼吸に要する時間は二十四時間であると理解できる。
普通の状態にある人間は平均で一分間に二十回の吸気と呼気という呼吸をしている。だから一回の呼吸は、六十秒を二十回で割ると三秒ということになる。このように推測しながら呼吸の周期と眠りと目覚めの周期を考えてみると、二十四時間を三秒で割ると、一日に二万八千八百回の呼吸をすることになる。
次に昼と夜で一日、二万八千八百回の呼吸を一年の三百六十五日で割ると、きちんと割り切れないが、だいたい七十九年になる。この七十九年は人間の生命を表しているのだが、これは七十九年の眠りと目覚めを形成している。
人間の寿命は、健康に一生を過ごしてきてもせいぜい八十年がいいところ。長息は長生きに通ずるというが、呼吸の回数が一般人よりも多いスポーツ実践者が短命なのはこんなところに原因があるのかも知れない。我々がそれぞれもっている時間は呼吸で決まってくるといっても過言ではない。
人の一生の「眠りと目覚め」について、一休和尚の詩が脳裏をよぎる。
『人の世は 喰うて 糞して 寝て起きて さて そのあとは 死ぬばかりぞよ』
今日、一日をこの詩に瞑想してみる。