東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

呼吸と感覚

 ドラッグから出発したものの、やはり「呼吸」にたどり着いてしまった。

 心はあらゆるものを通して、音声、言葉、意味を通してさえ微妙な食物を摂り入れていることになる。たとえば性欲を感じている時、性的幻想に憑かれている時に意味を持たない音声、たとえば鼻で力強く息を出して「フゥン! 」と発してみる。まもなくSEXを超越したのが感じ取れる。なぜなら発散されたのだ。あるとても微細なものが呼気とともに発散されたのである。
 怒りを感じた時も、この音声「フゥン! 」を活用してみると、まもなく怒りは消え去ってしまう。また、性欲を感じていて、この同じ音声を吸気とともに鼻で「フゥーン! 」と息を吸えば、なおさら性欲を感じることになる。また、怒りを感じている時、この同じ音声「フゥーン! 」を吸気時に発したなら、なおさら怒りでつのってしまう。そうしたとき、ひとつの単純な音声でさえ、いかに自分の心に影響を及ぼすか、また、吸気と呼気とでは、それがいかに異なった効果を心にもたらすかということに気づく。
 美しい愛情深い人、あるいは恋人に会って、相手のからだに触れたいと思ったら、呼気とともに相手のからだに触れてみる。 ― 何も感じない。今度は吸気のときに相手のからだに触れてみる。 ― たちまち魅せられてしまう。吸気のときの接触は一種の食物になるのだが、呼気のときではまったく食物にはならない。
両手で誰かの手をとり、吸気のときだけその手を感じとってみる。呼気のときはからっぽにすること。そうすれば触れ合いは食物だということがわかる。 
 母子の関係で言うと、母親なしで育てられた子供や、母親がいたとしても触ってもらったり、愛撫してもらったことのない子供には、何か足りないものがある。母親に触られ、愛撫され、抱きしめられたりしたことがない子供は、けっして誰も愛せない。母親の微妙な接触は子供にとってもっとも必要とされる食物である。母親の接触によって子供の中に色々なものが生み出される。母親のように愛情を持って触れてくれる人がいないと、その子供はだれも愛せなくなる。何か肝心なものが欠けているということを知らないで育つことになるからだ。
 そして、呼気の感覚に注意してみる。そうすれば息の秘密、どうしてそれがプラーナ(生命素)と呼ばれてきたのかというその理由に気づく。息は生命にかかわる最も重要なものであるということがわかる。
 呼気に力を入れて食事をすると、その食物がどんなにおいしくても、からだの滋養にはならない。たくさん食べたところで、呼気に力点があったら、まったく栄養にならない。だから吸気のときに食べること。そして呼気のときには特に隙間をおくことである。そうすればほんの少ししか食べなくても心配ない。なぜなら、このように呼気に力点がなく、隙間をおいて吸気とともに食事を摂るなら、錬金作用がはたらくからである。神経質に栄養のバランスなど気にかけなくても済むのだ。栄養不良になりはしないかといった心配は、えせカロリー栄養学思想にたぶらかされた迷信である。
 ヨーガでは、食事直後の胃の内容は食物が半分、水四分の一、すき間四分の一になっているべきだという。腹八分目という名言があるように、飢餓感が止む程度に食事をひかえておくのが理想的であり、満腹感を覚えるのは食べすぎの危険信号と心得るべきである。