東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

スポーツ

私が診させて戴いているクライアントの30%はスポーツ関係者が占めています。スポーツ関係者と言ってもその殆どが中高生の部活動が主で、時には小学生のスポーツ少年団など、未だ身体が充分に出来上がっていない子達もやって来ます。
主訴の殆どが『肘、膝などの関節痛』『筋疲労から来る腰痛』など、見ていても痛々しい位の状態で親御さんに連れられてやって来ます。

考えてみると私も小学校の頃から野球を始め、高校卒業までの約7年もの間、明けても暮れても白球を追いかけていました。
当然の事ながら私自身も怪我との闘いの連続で、小学校時分に肘を痛め、高校時代に至っては腰痛に悩まされ、御多分に洩れず整骨院通いをしていました。
当時の治療は今考えると、かなりアバウトな感じで、自分らで勝手に器具を弄って電気治療やら温浴治療を先生無視で、勝手に行っていました。
当然の事ながら、気休め的治療満載で、治療そのものより寧ろ、治療所に来ている他校の野球部員との情報交換場といいますか、サロンと化していました。
当時の気分としては、自分以外の選手も皆、身体を痛めているからショーがない!野球を続けている以上は痛みは付いてまわるモノだ!と無理矢理納得させていました。
どう考えても休ませた方が良いと解っていても、休めばレギュラーから外されたり、休み明けに使ってもらえる保証は何もないので、選手は無理を押してでも練習に参加する、といった悪循環を伴う訳です。治療家の立場と選手の立場も両方解るが故に何とも悩ましい限りです・・・

そもそもスポーツって何なんでしょうか?語源は気晴らし・遊ぶ・楽しみなど意味とするdisportが語源のようですが、現状競技スポーツを行っている選手100人に聞きました!って聞いてみれば、多数の選手が語源の様な気分では競技を行っていないと思います。
ましてやこれが学校の名誉ならまだしも、国の名誉を背負った“オリンピック”などにでもなれば、国の威信やら郷土の名誉やら背負わなくても良いものまで背負わされて、良い時はマスコミも含め散々持て囃され、メダルの色が変わった途端に掌を返した様に人格をも含めて袋叩きにあう・・・ああ・・・不条理不条理・・・

このスポーツと真逆でよく比較されるのが『武道』ですが、この武道も昨今は競技化してしまい、武道なのかスポーツなのか曖昧な“スポーツ武道”が増えてきているのも確かです。
本来、武道は他人との闘争というよりは自分自身、身の内との闘いであり、他者と比較して云々という次元に存在せず、比較そのものがそもそも滑稽な話です。
スポーツと武道の大きな違いは『原理・原則』の有る無しだと思います。
スポーツとはいつの時代でも現在、今時点で『強い人(勝っている人)・強いチーム(常勝軍団)』が正義であり、生涯その考え方、やり方が正しい訳では無く盛者必衰、負ければ次に勝ったチームが正義となり、その学校や監督・コーチが行っているトレーニングを含めた指導がお手本に成ると言った、本質無き『砂上の楼閣』的指導法なのです。
だからこそ、コーチや監督が経験値の中から手探りでベストなパフォーマンスを引き出そうと試行錯誤をしていく訳です。スポーツの世界にはこれをやれば100%大丈夫!というモノは決して存在しないのです。

それに対し『武道』は日本人の体型や生活様式の中から長い年月を積み重ね作り上げられた、日本人独自の文化であり“基本”と“型”の反復稽古の中から“原理・原則”を見出し、基本の動きを身体に染み込ませ血肉に成るまで行うことで自分のモノにしていく人生勉強の場でもあります。だからこそスポーツで忘れがちな、礼に始まり礼に終わると言った精神的研鑽も必要と成る訳です。

The Maid in Japan操体においても全く同じで、操体における“原理・原則”はご存じ『般若身経』であり、“重心安定の法則と重心移動の法則”操体を学ぶ者において(基本的には臨床家と名乗る方は全てと思いますが)は必須であり、自然に身体が反応するまで刷り込む必要が有ります。
この原理原則を身につけると、ある程度のスポーツへの応用貢献も出来るので、何故身体を痛めたのか、どうすれば極力身体を壊すリスクを減らす事が出来るかを選手に指導出来、更にどうすれば今以上に身体パフォーマンスを上げられるかなど、選手が望む結果を “般若身経”をベースに指導が出来ます。
来年辺りからは本格的に私達東京操体フォーラム指導の元のスポーツ選手育成プログラムが花開くかもしれません、今、着々とその下準備及び動きが始まっています!

『般若身経』は競技が変わってもベストパフォーマンスを引き出せる、日本人にとってベストな“メンテナンス&コンディショニング”アイテムだと思いますので、全ての競技に・・・
危ういスポーツ選手達の明日への救世主とも成るかもしれません。


福田勇治