東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

2010年7月2日を生きる

こんばんは、いよいよ後2日、今日も富士山の麓から小代田がお届けします。
気がついたら祖父がなくなって一年が過ぎていた。

先日祖父が入院していた病院の近くを久しぶりに通った。「去年の今頃は毎日のようにあそこに通っていたんだよな」。何だかすごく不思議な気分だった。今でもあの頃に記憶をはせると一年前の今と繋がっている気がする。今のわたしが最後の時を刻んでいる祖父を見守っている気がする。そして祖父も同じように今の私達を見守ってくれているような気がする。

私は7人家族の中で育った。曾おばあちゃん、祖母、祖父、両親、そして弟。曾おばあちゃん、祖父母、3人とも私と弟をとても大切にしてくれた。だからおじいちゃんやおばあちゃんの思い出も多い。でもその祖父達が残しでくれたのは思い出だけじゃない。実は命を通して残してくれたものがある。それは生きるということ。

曾おばあちゃんには、人は死ぬのだということを教えてもらった。
そしておばあちゃんからは、人は老いるのだということを教えてもらった。
そしておじいちゃんからは、どんな状況でも自分の命を生き切るということを教えてもらった。

曾おばあちゃんが亡くなった時、私は高校一年生だった。初めてみる老い。日に日に自分や私達が分からなくなっていくおばあちゃんが怖くて、おばあちゃんの部屋から足が遠のいていった。そしてそんな日が続いた後、曾おばあちゃんは何も私達に告げることなく、突然逝った。でもその頃の私は人が死ぬということがきっと良く分かっていなかった。もちろん死を悼むという言葉も分かっていなかった。

祖母はアルツハイマーという病気になった。まだ60代だった。とても綺麗で優しい自慢のおばあちゃんだった。そのおばあちゃんは病気になってから、まるでパーマをかけているような綺麗で長い髪を、介護の人達がお世話しやすいようにと切らなければならなかった。毎日綺麗にしていたお化粧もしなくなった。長いネグリジェやスカートは、洗濯しやすい服やパンツに変わっていった。それから亡くなるまでの10年の時をかけ、祖母は少しずつ私達に老いというものを教えてくれた。祖母がなくなった時、私達は悲しさで一杯だった。ただただ失ったものが恋しくて悲しかった。そして彼女の人生を思い、切なさで一杯だった。

祖父は祖母を送り一年たった祖母の命日に倒れた。それから4年間、家族総出の介護の日が始まった。祖母の介護を祖父に任せっきりだった私達は、初めて病気、老いというものに向き合うことになる。施設にお願いして自分たちの生活や人生を生きる道もあった。でも私達は共存することを選択した。
「すべてが学びであり、家族愛溢れた日々だった」と締めくくりたい所ではあるが、得たものの大きさと同じくらい、失ったもの、そして置き去りにされたそれぞれの時間がそこにはあった。
しかし倒れた後、自分を失って行った祖父が、それでも懸命に生きた日々は、私にどんな状況になっても自分に与えられた命を投げずに生き抜く、そして命を生き切ると言うことを教えてくれた。
祖父がなくなった時、その死は悲しいだけでなく、私達の心にその命を生き切った祖父への愛情を残してくれた。そして人それぞれかけがえない人生がある、だからこそそれぞれの人生を尊重し、敬うのだという心の種を残してくれた。

「小代田先生にとって、人生の目標ってなんですか?」と以前職場の後輩に聞かれた。
私にとっての人生の目標。色々あるけれど、一番は「生きること、自分の命を生き抜くこと」。

昔生きる意味を探していた、そして人生の意味を考えた。生きるための目標を探していた。でも今は、自分が頂いた命を生き切ることが出来れば最高だなと思っている。

祖父達が教えてくれたもう一つのこと。与えられた命を「生き切る」って自分勝手に生きることではない。好きなことをやって好きなように生きることでもない。生き切るって実はとても奥深くって面白いけど、とても厳しいものでもあると思う。
生きるって実に選択肢が沢山あり、羅針盤がないとまだまだ未熟な私は迷ってしまいそうになる。でも操体は、命のための自己責任を示してくれている。
それぞれがこれから生きる人生は、誰にとっても初めての体験ばかりである。しかし縁あって授かった「操体、そして操体法」。これを自分の羅針盤として行けば、大きく迷うことはない気がしている。

気がついたら祖父の49日が過ぎた頃から、ここ数年続けていた日記を書かなくなっていた。
でも今こうして祖父達との日々を振り返りながら少しずつ、これからの新しい日々を思い描き始めている。
そしてそんな自分に気づき、こうしてこの時期にブログを書く時間を頂いたのも何かのめぐり合わせなのかな、そんなことを考えている。

きっとそれぞれの中に自分なりの生きる目標なり目的なりがあると思う。色々な考えがあって構わない。今思うのは皆さんが、命ある限りそれぞれの人生を存分に生き切って欲しいということである。

今日はどんな一日でしたか?どんな一日であれ、私から見たらかけがえのないそれぞれの一日。皆さん、今日も生き抜いて下さってありがとうございました。
何だか明日が楽しみになってきました。
さて今日は少し長くなってしまいましが、そろそろ小代田も一息つきたいと思います。
今日もありがとうございました。おやすみなさい。


小代田綾


8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体セミナー in スペイン」開催