今日は新月、新たな出発の日です。最終日となりました。今日もよろしくお願いします。
今回いろいろ調べていくうちに、すばらしい文献に出逢いました。要約してみたいと思います。
ORGASM
まず第一に、男性が女性と愛を交わしていて、オルガスムを感じ、歓びのなかにあるとき、それは相手の女性とはなんのかかわりもない―そのすべては男性の中で起こっている。
女性がオルガスムを感じているときも同じことがいえる。それは相手の男性とはまったく関係がない。
相手は、助け、口実、きっかけにはなっているかもしれないが、オルガスムはひとりのもの、分かち合うことができないプライベートなものだ。お互い、相手のことは、観察見学はできるが参加はできない。
二人はいっしょにいるが歓びを分かち合うことはできない。
二人がいっしょにオルガスムを感じているときでさえ、お互いに影響されない、完全に自分のなかにいる。つまりすべてのオルガスムは、深いところでは、マスターベーションだということだ。
第二は、オルガスムが起こっているとき、性中枢とは何の関係もないということだ。深いところでは、性中枢で起こっているのではなく脳で起こっている。
女性のオルガスムは右の脳で起こる、それが女性的な質の中枢だからだ。
男性のオルガスムは左側の脳で起こる、それは男性的な脳だ。
脳のこの両方がいっしょになったとき、大いなる歓びが生まれ全面的なオルガスムが起こる。
最後のポイントは、歓びは正確には脳の中で起こっていない―それは脳のこの両方の背後に立っている目撃者に起こる・・・。
この目撃者を知ることがひとつになること、絶対的にひとつになることだ。
そのとき、二人のなかの男性と女性は完全に消えてしまい、その〈ひとつのもの〉のなかに失われる。二人は瞬間から瞬間をオルガスムに満ちた存在として生きる。その状態のなかで、セックスはおのずから消えうせてしまう。それはなくてもいいからだ。
〈目撃〉のなかで、二人はオルガスムに満たされる。そのときオルガスムはつかのまのものではなくなる―そのときそれは本性そのものになる。これが歓喜というものだ。
オルガスムには「絶頂のオルガスム」と「谷のオルガスム」とがあって谷の方は最も深いリラクゼーションの谷底そのものに至る。どちらも最初は興奮をつかわなければならない。最初はどちらも同じだが最後はまったく異なっている。
谷を、くつろぎのオルガスムを感じ気づいたなら、それが超越だ。それは瞑想になっている。
いかがでしょうか?私にはすばらしい発見でした。詳しくは直接文献にあたってみてください。
和尚OSHO著
「英知の辞典」
めるくまーる刊
1週間にわたってお付き合いいただき本当にありがとうございました。
来週からは、みなさまお待ちかねの岡村さんです。よろしくお願いします。
鵜原増満