某友人がキ○タ○を鍛えたから子宝に恵まれたのかどうかはわかりませんが、
いい道具があれば、いい仕事ができるということには、一理あるかもしれませんネ。
でも、道具さえよければ全てよしでは、それはただのモノとモノ、
ただの肉と肉の交流のような感じがしないでもありません。
「せっくす」ってのはからだそのものが感じて応じる感応の世界であり、
視る、聴く、嗅ぐ、味わう、そして触れるという五感をフル活用した、
からだとからだ、心と心のコミュニケーションみたいなものですからネ。
関係ないですが、ワタシなどは女性のイイ匂いを嗅ぐとフラフラ〜とついていっちゃいそうになりますヨ。
(同じ現象がウナギ屋さんとやきとり屋さんの前でも起こります)
そばに寄ったときにフワッとイイ匂いがしたときなんかには、もうその日は一日ハッピーです。
まぁ、そんなことはどうでもいいんですが、
とにかくキ○タ○鍛えて突撃ラッパ鳴らすだけでは、ちょっと味気ないものです。
「せっくす」ってお互いが対等の立場で、「よいでござるか」「よいでございますわん」という、
心とからだを通した対話があればこそ、本当にお腹いっぱいの充実感が得られるんじゃないですかねぇ。
これは操体の臨床も同じですネ。
操体だって「せっくす」と同じ感応の世界であり、一方通行ではダメなんです。
お互いが心を開いてからだを感じ合い、気持ちのよさの交流をしながら、それを十分に味わっていく。
う〜ん、何かスバラシイなぁ。
気持ちがいいってことはきっと神サマがくれたご褒美ですから、
からだそのもので大いに感じて、十分味わいながら生きていきたいものですネ。
つづく
中谷之美