2011東京操体フォーラム分科会も無事に終えることができました。
一緒に学ばせていただいた皆さま、本当にありがとうございました。
今回は参加できなかった操体人の皆さま、
夏には京都がありますし、秋にもまたフォーラムがありますからね〜。
さて、今回のブログのテーマの「せっくす」ですが、
フォーラムからの帰りの電車の中で「せっくす」について想いを巡らせてみました。
(これは非常に危ないオッサンか!?)
「せっくす」の記憶ってどこに残るんですかネ?
頭でしょうか?からだでしょうか?
まぁどっちでもいいんですが、何となくからだのほうがイイ感じがします。
操体でいう気持ちのよさは頭でなくからだにききわけてとしています。
頭で考えた気持ちのよさと、からだにききわけた気持ちのよさは違うということなんでしょう。
「せっくす」のときの気持ちのよさって、
どこが気持ちいいのかイチイチ探したり、見つけたりしませんよネ。
理屈じゃなく気持ちがいい。
操体でいう気持ちのよさも、頭で考えて探したり、見つけたりするもんじゃないんです。
ただ「せっくす」のような刺激じゃないぶん、最初はちょっとききわけにくいだけ。
からだにききわけることがわかれば、
気持ちがいいってことがホントにありがたいなぁって、きっと感じると思います。
そして、ありがたいってことがわかると、からだは自然に元へ戻るんです。
ワタシは操体の臨床って、そんなことだと思っております。
一応つづく
中谷之美