東京操体フォーラム 実行委員ブログ

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ルイス・フロイスの見た日本

福田と言えば歴史ということで、懲りもせず、今回も『性』の歴史を色々な解釈で最終日まで紐解いてみたいと思います。
タイトルにもなっておりますが、皆さんはルイス・フロイスなる人物をご存じでしょうか?ちょっと歴史に詳しく、尚且つ信長好きな方にはお馴染みの人物です。簡単にプロフィールを紹介しますと、ルイス・フロイス(1532〜1597年)ポルトガル出身のカトリック司祭、イエズス会所属の宣教師です。

当時、堕落した仏教界への不満と外国の技術力に興味を持っていた信長が、キリスト教の布教に苦心していたフロイスとの利害関係が一致したことで、信長・秀吉といった両天下人の元で過ごすことが出来ました。

戦国期当時、日本各地での見聞を示した資料として10年以上に渉って書き上げられたのが『日本史』です。
この『日本史』は戦国期の資料として、とても貴重であり、信長の生涯を右筆の太田牛一が描いた信長公記にも見られない記述があるなど、身内では無い客観的外部の見方として一級資料と言っても過言ではありません。
信長の声が甲高いとか、身体的特徴も含めた信長像は、この“日本史”に書かれている内容から考えられている部分も多く、そういう意味では我々の描く信長像はフロイスによって創られたと言っても間違いではないでしょう。

話を元に戻しますと、この日本史の面白いところは、只単に権力者だけを書いたのではなく、一般庶民の生活にまでスポットを当てているところです。
このフロイスの『日本史』から、当時の世相、風俗を読み解いてみたいと思います。
『日本史』の記述の中で一番ビックリしたのは、当時の日本女性に対しての記述でした。
戦国時代の女性と言えば、只今絶賛放送中、某国営放送のだめカンタービレでGO!』ですが、余りにも酷すぎて本当のタイトルを忘れてしまったのですが、現代人の感覚で脚本を書いてしまうと、こうなってしまうのかという典型的なドラマだと思いました。もはや私は見ていないので、今後どうなるのかは分かりませんが、もはや『ファンタジー大河コメディ・トレンディドラマ』と命名したいです。

話し戻しますが、戦国当時の女性達はどうやら現代の私たちが描いている戦国女性の感じとは大きく違っていたようです。以下、フロイス『日本史』の記述から幾らか抜粋しております。
書き方としてはヨーロッパの女性と比較しつつ書かれています。

(貞操感)
『ヨーロッパでは未婚の女性の栄誉と貴さは、貞操であり、又、その純潔が犯されない貞潔さである。日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉も失わなければ、結婚も出来る。』

この“貞操観念”って概念が殊更に言われるようになったのは日本では明治に入ってからですし、恐らくは鎖国が解けて、先に言ったヨーロッパのキリスト教からの、貞操観念が大きく影響していると思われます。
今ではほぼ死語になりつつある、『処女性』に関しても、江戸時代などに残る記述にも、現代のギャル(死語か?)も真っ青の記述が見られます。未通女(処女)(ていらず)の味は良くない、逆に迷惑である、とかなどなど・・・
女性側にしても、性行為に不慣れな男性による初体験は快感どころか破瓜(はか/処女喪失)による痛み、出血、痙攣などの可能性もあるということで、初夜には経験豊富な男性(その多くは仲人)と性行為をしてしまって、破瓜を済ませてから、旦那様になる男性といたす、という習慣も実際に存在していました。いわゆる初夜権のことですねぇ。日本では初夜権などといった言い方はしていないと思いますが、女性も暗黙の内に了承し行っていたようです。

これはヨーロッパにもあって、西欧では初夜権は領主や司祭にあって、この辺の話は映画などでも多く取り上げられており、割愛しますが、日欧共通なのは、代理でいたすベテランさん達の『中出し厳禁』ってルールでしょうか。
あくまでも目的は破瓜による痛みを無くすことなので、ベテランのおじ様に開通して戴いて、尚且つ“接して漏らさず”といった、私には不可能な任務な訳です。
現代人の感覚で聞くと結構目が点ですが、当時は当たり前だったということです。だから最近の時代劇で言っているような、操を守ってなどということは作り事に近いと言えるかもしれません。

フロイスの記述を後、幾つか挙げます。
(外出時)
『ヨーロッパでは夫が前、妻が後ろになって歩く。日本では夫が後ろ、妻が前を歩く。』旦那の後ろを静々と歩くのでは無いようです・・・
(財産)
『ヨーロッパでは財産は夫婦の間で共有である。日本では各人が自分の分を所有している。時には妻が夫に高利で貸し付ける。』何だか身に詰まされます・・・
(離婚について)
『ヨーロッパでは妻を離別することは最大の不名誉である。日本では意のままにいつでも離別する。妻はそのことによって、名誉も失わないし、又結婚もできる。』
(離婚について2)
『ヨーロッパでは夫が妻を離別するのが普通である。日本ではしばしば妻が夫を離別する。』

(娘の外出)
『ヨーロッパでは娘や処女を閉じこめておく事は極めて大事なことで厳格に行われる。日本では娘たちは両親に断りもしないで一日でも数日でも、一人で好きなところへ出かける。』
(妻の外出)
『ヨーロッパでは妻は夫の許可がなくては、家から外へでない。日本の女性は夫に知らせず、好きなところに行く自由を持っている。』
(女性の飲酒)
『ヨーロッパでは女性が葡萄酒を飲む事は礼を失するものと考えられている。日本ではそれはごく普通の事で祭りの時にはしばしば酔っ払うまで飲む。』
 
まぁ、多少、誇張したり、キリスト教の素晴らしさを誇示するのと、日本という東洋のチッポケなモラルの低い島国で布教をしているというのを、本部にアピールしたかったという、部分もあったかもしれませんので、全てを鵜呑みには出来ませんが、日本でも同様の記述が見られるので、ほぼ内容的に間違い無いのではと思われます。

このフロイス『日本史』を見ると、後生の作家が日本の女性は命を絶っても操を守り通す!などと書いたのは、非常にヨーロッパ的表現であり、実はもっと男性と同じような感覚で、矢弾尽き、うてる手はこれ以上無いと、旦那と共に最後まで戦い、これ以上生き延びてもと、自らの命を絶っていたのかもしれません。
カンタービレ、のだめの様に春画を見て失神するようなヤワな戦国女など当時は存在せず、もっとしたたかに、そして『自分の意思を持って』戦国の世を超ポジティヴに生きていたと思われます。