「今日は最高の一日でした。
本当に生きていたよかったなあ・・・有難うございます」
そう思える一日を過ごしていく。
その為に、私たちは生かされているのかもしれない・・・。
あなたはどんな一日を送ったのだろうか?
さて、二日目もオンプレがお送りしよう。
私たちの「からだ」には意志が宿っている。
それはイノチの要求といってもいいだろう。
ン・・イノチの要求とはなにかだって?
まず、動診の際に感じ取る意味から考えてみよう。
「からだ」の要求とは別に、“自分”の要求で探してしまう場合がある。
この感覚にある特徴とは、
それほど「からだ」の要求はないけれども、”自分”の要求に対しては表現してくれるということだ。
ここでカン違いしては勿体ない。決してこれは「快」の本質ではない。
表現していたことは「楽」なのである。
一例としての「快」を紹介しよう。
“自分”を関与させないで、「からだ」を最優先することができる。
動診の最中に感覚をききわける過程で、「からだ」に気持ちの良さをききわけ、
さらに、充分に満足するまで味わっていたい要求を「からだ」にききわけ、
要求あればこそ、”きもちがいい”という、快適感覚にゆだねて、
ただ、ただ味わいながら、「からだ」の要求を満たしていくことになる。
これは「快」であり、感覚そのものになっている「からだ」の表現なのだ。
ン・・・「からだ」って何かだって?よし、いいことをこっそり教えよう!
それはいよいよ来月に迫った、秋季東京操体フォーラムに申込みをすることだね。
詰まっていたモノはスッキリ!間違いなし!
ン、急に誰かが私の皮膚に触れているな・・・zzz・・・。
zzz・・オッとお寝坊さん!今日もハッピーさんだよ〜忘れないでよ〜。
あのね、思ったんだけど、環境の中で働くエネルギーって、
”流れ”を受け取る器そのものなんじゃないかな?
たとえば、地球上では月の六倍以上の引力があるけれど、この影響って見えないよネ。
僕らの中にある60兆を超えるという、細胞の一つ一つはもちろん影響されているから、
表面をおおっている皮膚と脳のつながりをもっていて、
発しているものを受け取ったり、それを見送ったりしてもいるんだよ。
それって「快」か「不快」なのかを、瞬く間もなくつなげていくんだろうね。
単細胞から進化したって言われてる多細胞生命体は、僕らのことだよね。
昔でもない、”今”を生かせるのは”人”なんだから。
限りなく続く選択を行いつつ生かされているんだなァ・・・。
環境から何かを受け取っても、どうしたらいいのかわからなくなってしまうまで、
素敵な一日を、「からだ」にきいていこうよ。
じゃ、明日も待ってるよ〜今日も好日だったヨ。
どうもありがとうございます!
「岡村郁生」
■2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。