東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

自然の法則にみる「快」と「楽」(6日目)

『想』の快と楽について
想念というのは心がけのことであり、病気というのはその心の歪みのことである。病気の原因は心が歪んでいるからで、その心の上にからだが乗っており、心が歪めばからだが歪み、からだが歪むと心が歪んでくることになる。これもまた「同時相関相補」の関係にあり、連動している。
漢の時代の中国の古典、『黄帝内経』、『素問』、『霊枢』などには生活の仕方を間違うと病気になると書かれており、この古典の締めくくりには「身を修め、心を治める、これ薬源なり」という言葉が記されている。この意味は、悪いことをしないように身を修め、心を丸く穏やかに保ち、自分本位の思いを捨て、心がけを良くすることが、心を治めることであり、こういったことが治療法、健康法の薬だといっている。
心がけが悪くなるといっても、その心の歪み方には、中国の古典に従うと、「傲慢」「冷酷」「利己」「強欲」という四つの型に分けられる。「傲慢」な人は頑固で人の意見を聞かないという特徴があり、肝臓や胆嚢が悪くなりやすくて、感謝する心というものを持ち合わせていない。「冷酷」な心の人は、他人に対して思いやる気持ちがまったくなく、心が冷たい性格でやはり感謝する心がない。このタイプは心臓や血管系統を悪くし、小腸やエネルギー代謝も悪くなるので糖尿病にもなりやすく、その上、消化器を悪くすることにも結びついてくる。「利己」の人は、苦労するのが嫌で動きたがらない怠け者だ。また我慢することを知らず、動かないで、飲み食いばかりしているから消化器が悪くなって肥満してくることになる。「強欲」な性格の人は、欲が深くて、出すのを渋り、何でも取り込み、出すのを嫌がるという潜在意識があるので便秘になって困っている。
であれば、からだの歪みを治せば病気も治るという理屈になるが、心が歪んだままになっていると、またからだも歪んできて病気に逆戻りするのだ。先述したように血液が循環するから健康でいられるのと同じように、心にも「気」がからだの中を循環しているからこそ、精神的に健康で過ごすことができるのである。たとえば、血液の循環が内臓細胞の中で滞ることになれば、肉体的には、当然に内臓の具合が悪くなって「五臓六腑」と、精神的には、「喜怒哀楽欲」という五つの感情が乱れてくる。この表れ方は怒ると肝臓が悪くなり、腎臓が悪いと臆病者になってしまう。またクヨクヨすると消化器を悪くし、消化器が悪くなると、クヨクヨして優柔不断になるのである。心の性格を見れば病気のおおよそがつかめるということだ。
このように心のあり方次第で、からだも連動するのであるから、健全な心がけを持たなければならない。心が楽を求めるというのは、それだけ自分本位が強いということだ。自我を弱めて、他人のために役立つ心が育ってくると、他人の喜びが自分の喜びとして感じるようにもなってくる、これが快の心だ。それには常に肯定的、積極的に物事を捉えることであり、たとえ病気をしても、その病の中で、人の心の優しさや親切の有難さに気づくことができるものである。そこから感謝の心が生まれてくることにもなるのだ。また橋本敬三医師の言葉にもあるように、自分だけの力で生きているのではなくて、「生かされている」というのは、毎日の食卓でも自覚できるはずである。自分を生かしてくれるために、野菜や魚などの食べ物が、食卓にやってきてくれたのだ。感謝の心があっても決しておかしくはない。だから合掌して「いただきます」と言って感謝の心を態度で表す作法が生きている。まるで感謝を絵に描いたような姿である。こういった我が国における礼儀作法をずっと守って生きたいと思う。
明日は「環境」の快と楽について



2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。