東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

自然の法則にみる「快」と「楽」(5日目)

『皮膚』の快と楽について
妙療法といわれる操体法の中には「渦状波」という妙法がある。それは皮膚に問いかけるというものであるが、なぜ皮膚なのか。それには理解されなければならないことがある。それはブログの初日にも触れたが、血液の循環を良くするためには、ボディの歪みを調整することが大切であるように、皮膚による血液循環も、まったく同等に大事な要素である。心臓から出た動脈は、進んでゆくにつれ、枝分かれて小動脈になり、やがて毛細血管に達する。この毛細血管には多数の小孔があり、動脈血はそこを通って、無数の細胞を養っている。
その毛細血管の手前に、「グローミュー」という名の副毛細血管がある。この副毛細血管というのは、普通は毛細血管に血液を送るため閉じているのであるが、血管に異常な高圧がかかった場合に開くようになっている。いわば血管の危険高圧を防ぐ「安全弁」の役目をしている。日常動作や感情が高まった時に、血圧が上昇するが、これは生理学的に必要な血圧変化である。こういった血圧変動を安全に遂行するために副毛細血管があるのだ。これがうまくいかなくなると高血圧によって小動脈が破裂して内出血を起こすのが脳溢血である。そしてもう一つの大切な役目が毛細血管を通過した無酸素状態になった静脈血へ安全弁が開き、酸素の入った動脈血を適当に流す働きをしてくれる。すると、無酸素状態の中で発生する猛毒一酸化炭素をまったく無害な水と炭酸ガスに変えてしまうのである。
こんな副毛細血管を健全に機能させるためには皮膚のケアーが重要だ。ケアーといっても何もエステに通えというのではない。皮膚は肺のような呼吸作用や腎臓のような排泄作用にも余念がないのである。そんな皮膚を清潔にするためには、いつも風呂に入り、からだを洗浄することで付着した汚れや毒物も洗い落とすことができる。また清潔な衣服を身に着けて、紫外線にも当てないと、ビタミンDの摂取をはじめとする体温調節や汗腺からの毒素排泄もうまくいかない。こうした正しい生活習慣を実行することで副毛細血管を健在に導くのである。
その副毛細血管の数は、全身に51億本あり、その60%の31億本が、皮膚の層にあるといわれている。あんま、マッサージ、指圧などもこの皮膚に対する刺激を通して、内蔵の血液循環を促しているのである。そういった皮膚への刺激療法は「楽で気持いい」という言葉をよく耳にする、ようするに楽なのである。同じように皮膚に働きかけていても、渦状波はそこが違うのだ。皮膚に対して刺激を与えるのではなく、「接触」のアプローチで働きかけている。一体、何が異なるのか、この違いが快と楽の違いでもある。
ここに被験者が、あんま・マッサージ・指圧など皮膚に対しての刺激療法を受けていると仮定する。この場合において、施術者の手が被験者の皮膚に触れているわけであるが、その施術者の指が刺激となって、この状態が施術の終了まで続くことになる。これが治療であり、「楽」の意味でもある。しかし、渦状波の接触では、操者の指が被験者の皮膚に触れられているという逆の感覚を覚えるようにもなってくる。言い方を変えると、被験者の皮膚が操者の指に触れているということだ、それが快につながるという可能性を大きくする。渦状波は治療法ではなく、感受性のレベルを格段に上げることで快につなげる。それが結果的には、からだ自身が治しをつけてくる。楽と快はここではっきりと違いが明確になる。
たとえば、臨床においてクライエントの昔の病歴、古傷が治りを邪魔していることがある。表面上は一見すると、治っているかのように見えるが、そのときにその部分をかばうような不自然な動きの残像が見受けられる。それがボディの歪みになっていることが多い。これはその部分の見かけの皮膚が元に戻っても、自然な動きという機能が戻らないので不自然な動きからボディに歪みを作ってしまうのである。表面上は治っても、その皮膚の下にある筋肉は過度に緊張していて自然な動きが行えないというのが原因であると考えられる。渦状波における皮膚への接触は、まさにこの皮膚の下にある筋肉が反応し、その部分とは離れたからだの別の部位の皮膚に感覚がついてきたり、他の部分の筋肉が動き出したりすることが起こったりする。そういった感覚をクライエント自身がききわけることによって快・不快の予備感覚から結果的に快感覚につながってゆくのである。このように皮膚への刺激を与えないというやり方こそが、自然の法則に沿った快療法といえるものだ。
明日は「想」の快と楽について

2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。