続きです。操体で言う「無」ですが
操体の臨床で言うと、
1.感覚の場合と
2.動きの中でききわけるケースが想定されます。
今まではこの二つを分けて説明していませんでしたが、二つわけてみます
1.感覚の場合は、例えば渦状波(皮膚へのアプローチ)を考えます。
これは「刺激」ではなく「接触」です。
刺激(捻るとか絞るとかズラすとか)だと、快か不快か、あるいはどちらが感じがいいか、ということが、比較的瞬時にわかります。
しかし、「接触」の場合は、快か不快かよくわからない(けど快に繋がる感覚)を予備感覚と言います。
多分、これが「憶の快」に結構近いのでは。
2.そして「動きの中」でききわける場合。
これは、動かしてみても、楽で何とも無い、つまりスムースに動いて快も不快もない。
これは、ニュートラルな状態で、バランスが取れている状態。なので、動かしてもなんともない。
一番分かりやすいのは、仰臥膝二分の一屈曲位での膝の左右傾倒です。
運動とかしていて、からだが柔らかい人などは、可動域が広く、左右両方に膝が床にぺたりと着くほどで「なんともない」ということがあります。
動きで「無」というのは、「楽でなんともない」と捉えると良いのです・
「動き」と「感覚」はそもそも異なるものです。
この違いをしっかり伝えてゆくのが、フォーラムの役割でもあります。
そして、そもそも操体は「皮膚」をも越えた時代になってきました。
一週間ありがとうございました。
明日からは、「それ」をそろそろ公表したくて仕方ない??
三浦寛先生です。
(フォーラムではちょろちょろ公開して下さってますので4月29日の春季東京操体フォーラムには是非どうぞ)
畠山裕美拝
2019年春季東京操体フォーラムは4月29日の開催です。
テーマは2018年秋に引き続き「身体芸術と操体」です。