東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

快と不快の間にある「楽」

ここで、操体を理解する上で、とても大切なことを改めて書こうと思います。
 
奈良の北村先生が「無の操体」ということを言っておられ、2010年に京都の大徳寺塔頭(たっちゅう)のお寺で東京操体フォーラムをやった際、北村先生の教室の受講生の方から、「無の操体というのがなんともわからない」という話を聞きました。
 
「快でもない、不快でもない、何にも無い状態」が「無」であり、その時に治癒が起こる、そんな感じだったと、私は捉えています(大雑把なとらえ方です)。
 
実際、第一分析は「快」と言っても「楽な方に動かして瞬間的に抜く」というのが基本です。
 
そもそも、第一分析で「快」を問いかけることに問題があります。
「どちらが」という二者択一で「快」を選択するのは無理があるのです。
 
これは。実際にやってみるとわかります。
「どちららやりやすいですか」と聞いた場合、特にどこかトラブルがある時は「あ、こっちがやりやすいです」と、明確に答えが出ます。
 
しかし「どっちがきもちいいですか」と聞くと「う〜ん」と迷う方が多いのです。
 
また、言葉で言えば「楽な方にきもちよく」というのは違和感を感じにくいのです。この場合、元気な人はあまり気がつきません。普通に動けるから。
 
何度でも言います。
 
健康体操として操体をやっている方は、元気な人を相手にしているので、「楽な方にきもちよく」と言っても、通じるのです。
 
しかし、例えばギックリ腰の人に「きもちよく動け」と言ったら
「こいつバカか??」と思われます。
 
「ギックリ腰で操体受けに来てるんですけど?!」
「痛いのに気持ちよく動けって、あんたバカ??」
 
しかし「痛みから逃げるように」とか「楽な方に」と言えば、話はまともに通じます。
 
ここが分かっていないので、未だに「どちらがきもちいいか」とか「楽な方にきもちよく動いて」というとんちんかんなことが起こるのです。
 
 
というか、楽と気持ちよさは違う、って橋本敬三先生が仰ってるのにね(90歳のお祝いの時ですが)。
 
 
つづく
 

 

2019年春季東京操体フォーラムは4月29日の開催です。
テーマは2018年秋に引き続き「身体芸術と操体」です。