東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

楽と快の違いで起こること(3)

今回の発表の主なテーマは「時代が『陽』の時代から『陰』の時代に変わってきているのだから、『陽』の時代のやり方では間に合わなくなっている」「操体が第1分析から第2分析、第3分析あるいはそれ以上に移行しているのもそのためである」ということです。

陽の時代と陰の時代はおよそ700年周期で巡ってくるそうです。前回の「陰」の時代はおおよそ平安時代の終わりと同時期でした。平安時代は長らく戦争がありませんでした。
殿方が今夜通う姫の家の召使いに根回しするとか、夜は彼女の元に通うとか、翌朝前日通った彼女にラブレターを書くとか(これがヘタだとモテなかったそうで、代筆屋もいたそうです)、とにかく「色事」「恋愛」に忙しかったので戦をするヒマがなかったのです。私が高校生の頃、初めて「源氏物語」を読んだ時は「出てくるオトコのヒトがすぐ泣く!」「めそめそしてる!」と思いました。源氏の君なんぞはしょっちゅう泣いているのです。
大分乱暴な解釈ですが、平安時代とはこんな時代だったのです。また、精神疾患が多かったのではないかという説もあります。

愛とまぐはひの古事記

愛とまぐはひの古事記

これは古事記について書かれていますが、著者の大塚ひかり氏は、源氏物語に出てくる女御はみんなノイローゼか精神疾患みたいだ、というような事を書いておられます。

2011年7月、厚生労働省は4大疾病として取り組んできた、がん、脳卒中、心臓病、糖尿病に加え、精神疾患を加えました。「陰」の時代には精神疾患が増えるのではというのはあくまで推測ですが、私の周囲の臨床家は、みな患者、クライアントの症状疾患の質が変化してきた、つまりうつ病を初めとする「こころの病」が増えてきたと感じているはずです。

そして、平安時代の終わりと共に、武士の時代である鎌倉時代が始まりました。まさに「陰」から「陽」の時代への転換です。

これ以降、1945年に日本が敗戦を迎えるまで(日本だけではなく、世界中の多くの国々が変わりました)続きます。勿論突然時代が転換するわけではなく、じょじょに変わって行くのですが、1945年から60数年経った今、本格的な「陰」の時代に入っているのです。

「楽」と「快」の違いが分かっていないヒトに「違うんですよ」といくら口頭で説明してもなかなか通じません。ところが、一度「快」を味わってしまうと、「楽」では物足りなくなってしまうし、明らかに「楽」と「快」の違いを認識してくれます。これは何故かというと、からだは(イノチは)、「楽」よりも「快」を要求してくるからです。

この辺りは東京操体フォーラムの実行委員が詳しいところです。フォーラムにお越しになって、是非直接聞いてみて下さい。

そういえば先日「要求と欲求は違うのか」と、聞かれました。その話をキリスト教に詳しい知人に伝えたところ、「要求」は霊、「欲求」は肉なのだとのことです。橋本先生は若い頃、この「霊」と「肉」の狭間で大変悩まれたわけですが、それが「救いと報い」の違いを知ることによって「救われた」のです。
「欲求と要求」の違いが未分ということは、「救いと報い」の違いも未分なのかもしれません。
「楽と快の違い」も未分なのかもしれません。

勿論人間には「欲求」も「要求」もあります。どちらがエラくてどちらがエラくないというわけではなく「この2つは違う」ということがわかればいいのです。楽と快にしても同じです。確かに「快」のほうがからだの要求度は高いですが、世の中には諸般の事情があって「快(きもちよさ)」から遠ざかっている、あるいはからだ自身が、快適感覚をシャットアウトしている場合もあるからです。もしくは、アタマが良すぎて「体感」しないで理解しようとするからでもあるでしょう。

2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。