東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「快」が教えてくれた事〜その1〜

7,8年位前に三浦先生から「水は答えを知っている」(著者 江本勝 サンマーク出版)という一冊の本を頂いた。
この本では「愛」や「バカヤロウ」といった言葉、文字を水に見せてそれを結晶にし、そのデータを基に言葉の波動を説くという内容なのだが、私は臨床や日々の学びで迷いが生じた時に、この本に目を通すようにしている。
何故かと言うとこの本で説いていることは操体の臨床の本質と繋がっているからである。
ここで1つ紹介したい文がある。
「どんなにおいしそうな自然水を手に入れたところであなたの心がよくなければおいしい水にはならない」(P124)
自分がその水に対して否定的な意識を持つか、肯定的な意識を持つかでどんなにおいしい水でもまずくもなり、更においしくもなる。
つまり心の在り方次第で現象はいくらでも変わるのである。
これは「気持ちの良さ」でも同じ事が言える。
それは「体が快を知っても己が認めなければ快にはならない」
と言い換えられるでしょう。
つまり体が気持ちの良さを聞き分けられても、操者・患者自身の意識が否定的な意識を持っていれば体の治癒力も半減してしまう。結果的に否定的な心・意識こそが命を傷つけていくのである。なので気持ちの良さを知るには「素直に受け入れる」という肯定的な心を持たなければならない。

そしてあとひとつ「無関心」であることが命を傷つける一番の要因であるということである。
よく子供達の間でいじめの1つに「シカト」というのがある。
「シカト」という行為は子供の心だけでなく命を傷つけるのである。
この本においても「無視をする」事が命をいかに傷つけるかを説いている。
その内容は「ありがとう」と「ばかやろう」と声を掛けたご飯とラベルを全く何もせずに無視をしたご飯を置いて、どれが一番早く腐るかという実験を試みた所、一番早く腐ったのが無視をしたご飯だったという内容である。
この事からも「無視」をする事が心と体をいかに傷つけるかが分かる。
気持ちの良さでも同じ事が言える。「楽」という感覚にしか目を向けず「快」に無関心でいることは人の心と体、そして命を傷つけている。
人間の悲願が「健康に生きる事」ならば、快を無視してはならないのである。