東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「橋本敬三から学んだ事〜その5〜」

橋本先生の語録と向き合っている中で自分は「日々、自分のカラダと向き合えているのか」と自問自答するようになった。
人間のカラダにしても脳にしても長い間メンテナンスしていなければ機械と同じようにサビがつく。培ってきた技術にしても同じ事が言える。一週間何もせずに使っていなければ「勘」は鈍るし、取り戻すのにそれなりの時間を費やす。
よくプロのスポーツ選手は二日休むと休む前の状態に戻すのにそれ以上の日数を費やすと言われている。そのためシーズンオフ以外は二日以上の休みはまずない。私が部活でサッカーをしていた時もそうであった。それはスポーツをしていない人にも言えることで「使わせて頂いているカラダ」である以上は日々カラダの声に少しでも耳を傾け、悲鳴をあげているようならその悲鳴を和らげてあげるのが最低限の「責任」なのである。
私はこういった悲鳴があがらないように日々カラダの声に耳を傾け、その声に出来るだけ応えられるように努めているのだが、それ以上に大切に思うのがカラダと現在自分を生かさせてくれている全てのものに「ありがとう」と言える生き方をしなければならないという事である。

ここで橋本先生の「からだの設計にミスはない」のP38に私の好きな1文があるので紹介したい。

「大自然の原理として、人間は誰でも健康で幸福に一生をおくれるようにチャンと設計されているのだ。それが実現されないのは生き方が自然法則からはずれているためで、この法則にそむくと身心の姿と動きに歪みが生じ、身心のバランスがくずれて病気になるのだ」

私は子供の時に原因不明の目の病気や、盲腸等で何回か病院でお世話になった。その度に「なんで自分ばっかり‥」等と自分以外の何かを責める事があったのだが、この橋本先生のコトバを見てからは自分が病気になった事も現在の自分を形成する一つの糧にするようになった。
私が現在操体を学び、人のカラダを診る側の人間としているのも子供の時の経験が導いてくれたように思えてならない。三浦先生が橋本先生と出会い現在があるように私も橋本先生の本との出会いがあり現在がある。やはり自分の運命を変えてくれた人や本は自分のカラダと同じ位に大切にしていかなければならないと思う。
話を戻すが橋本先生のこの言葉から学んだ事は怪我や病気になった時にはまずは自分に「ごめんなさい」と言うことである。怪我や病気になるのは誰のせいでもなく自分の生き方に何か問題があるからそうなるのであって、自分以外の物のせいにするのは筋違いである。そうなった時は潔く自分の間違いを受け入れ謝る事が治る最短の道のりなのである。