東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「橋本敬三から学んだ事〜その6〜」

8月2日付の新聞で「5年間で800人の被害相談」という見出しが目に留まった。人事ではないと思い、その記事に目を通してみると年々整体院に通っている人達からの被害相談が年々後を断たないというのだという。国民生活センターによると整体やカイロプラッティックでの施術による被害が半数を占め、カラダを診る側の「無免許」がクローズアップされている。サイト等を見ていても施術者側の「無免許」ばかりが目立っているのだが、その問題よりも私はカラダを診る側の意識に問題あるように思える。それは「カラダの要求感覚」を施術者自身が決めつけているという事である。
現在、鍼灸•あんま•指圧等の治療法の技術は偉大な先人達の努力の積み重ねで本当に素晴らしいものである。しかし時代の流れと共にこれまでの「他力」という治療では間に合わなくなってきているような気がするのだ。もし「間に合っている」のならば冒頭で書いたような事はまず起こらない。仮に起こったとしてもこれだけの被害件数には至らないと思う。こういったことからも現在の医学は被験者の「カラダの声」にもっと目を向けなければならないと日々感じている。
橋本先生は著書でこのように書き残している。
「今までの治療はみんな他力だ。確かに効いたという事実はあるけれども、結果的に効いたというにすぎない。他力だとね、どうしてもコースが決まってくる。人間のからだは微妙だから、そのコースにうまくはまればいいが、はずれないという保証はない。」と述べている。
「この症状にはこの治療法が効く。」「ここが腫れている。だからここを押してみよう。」といった治療は結果として治ったとしても橋本先生が言われている通り、それは結果的に治ったのであって100%治る保証は無い。ではこの確率をいかに100に近づけられるか。それはそのプロセスの中で患者自身の「感覚の聞き分け」ではないだろうか?いかなる治療においても患者の感覚を無視し過ぎているような気がしてならない。私も怪我をする度に様々な治療を受けたが治療中にカラダの感覚を聞かれた事は一度もない。やはりほとんどの施術は「他力」であった。このような経験があったからこそ、カラダを診る側の人間は被験者の「カラダの声」を無視してはならないのだと強く思うのだ。そしていかなる治療法を用いても最終的には「カラダが治してくれている」という事を忘れてはならない。風邪にしても頭痛にしてもよく「薬を飲んだら治った」という人がいるが、それは薬によってカラダの治癒力が引き出されたのであって治ったのは薬のおかげだけではないのである。そういった事からも施術者、そして患者も「治すことはカラダに任せれば良い」という意識でカラダと向き合えれば最初に書いた現在の問題も少しは改善されていくのではないのだろうか?