東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「橋本敬三から学んだ事〜その7〜」

毎回このブラグを担当する時には触れているテーマである「東北関東大震災」から約一年半が経過したのだが、現在もなおその爪痕として残っているのが「心の病」である。この中で最も代表的なものとして「PTSD心的外傷後ストレス障害)」が挙げられる。PTSDとは震災や交通事故、または思いもよらぬ事故等、命に関わるような体験をした犠牲者等に見られ、ストレス障害を引き起こす疾患を言う。一言でいうならば「心の病」である。こういった「心の病」はあの震災以降年々増えてきていて、私も臨床経験は多いと言える人間ではないが、最近は心の病によってカラダが歪み病んでいる人が多いのが分かる。こういった人達に共通して言える事が過去のトラウマがあるため常に「不安」と戦っているという事である。
私達のような臨床家にとって、こういった患者が増えてきているという事はカラダの構造を診るだけでは間に合わない時代になってきているのは疑う余地のない事実である。なぜならば症状・疾患の原因が患者の心にあるケースが多いからだ。操体もこういった時代背景と共に「動き」から「感覚」を重視した臨床に変化してきた。それは施術者する側の意識も「自我」から「調和」に変わったとも言える。私は人のカラダを診る時にはカラダという外の器だけでなく心・意識といった「中の器」にも意識を向けて臨床を行うようにしている。その「中の器」の歪みが解消されれば不安との対立や己の自我との葛藤も無くなってくるのだと思っている。
また橋本先生の著書で「アンコロ餅」の話がある。難病にかかり、色々やってみたが駄目で、この世の名残りにアンコロ餅を食って死のうと思ったら、コロリと治ってしまった話を「どうにでもなれと心を病気から放下したその心機が、病をとらえていた執着心から救ってくれたものと思う」と書かれている。
病気とはその名の通り「気が病む」という事であり、それは自我の執着から生まれてくるものである。
私も正直、震災以降地面が揺れる度にあの日の事が頭の片隅で蘇る。「もし自分の大切な人がいなくなったら‥‥」「自分の大切なものすべてをなくしてしまったら‥‥」等と考える日もあった。ただ、橋本先生の著書を書き写していくうちに自分の頭の中で仮定した事で苦しむのはやめようと思ったのだ。やはり不安との戦いは執着を産み心が病む。仮に震災が起こってもありのままを受け入れ自分のやれる事をしっかりやっていこうと思っている。このような心境になれたのも自分はこの地球という器、そして自然法則の中で「生かされている」という事を意識出来るようになったからだ。こういった時代だからこそ「自分らしく」生きていく事が大切だと思う。

最後になるが操体の講習が行われている三軒茶屋のターミナルビルの玄関に色紙が飾ってある。そこには
「調和を探す」

と書かれている。
恐らく三浦先生が橋本先生から頂いたものだと思うのだがこれを見かけてからずっとこのコトバの意味を考えていた。
自分の心とカラダとの調和か?それともイノチとの調和か?または快適感覚との調和か?

色々自分の中で考えているのだが、まだ答えは分からないままである。この答えは自分の学びの中でいつか見つけていきたいと思っている。現在、わかっている事はこのコトバが心の病を患っている人を手助けする重要なキーワードとなっている事である。

一週間どうもありがとうございました。明日からは半蔵さんが担当になります。
お楽しみに。