東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「螺旋について」

ある時、こんな事を考えていた。

「人間や動物のカラダはなぜ、円柱なのだろうか?」
「ロボットのように四角ではいけなかったのか?」

例えば、人間のカラダがガンダムのように四角の構造で、発するコトバも漫画であるようなリズム感のないコトバになったらどうなるのだろうか?大体、皆が同じ想像されると思うが、私はロボットと人間の大きな違いは心とカラダの連動にあると思う。人間のカラダが丸く、コトバに起伏があるのは連動があり、その連動によって波動という波が産まれる。その波動は螺旋の回転が生じ、命の波動が生み出されるのである。それは犬や猫も人間と同じことが言える。命在る者にとって、その構造が四角では角がたつし、連動は決して起こることはない。円で出来ていることが命を与えられた特有のつくりなのだと思う。

今日はこの螺旋について少し書こうと思うのだが、皆さんは螺旋を描く(イメージ)する時にどのように描くだろうか?

螺旋は右回りからの渦もあれば、左から描く渦もある。大きな渦を描く人もいれば、小さな渦を描く人もいる。更には外回りの人もいれば、内回りの人もいる。

どちらの円が良いか悪いかというのは無いが、この螺旋のイメージこそがその人の思想を忠実に表しているように思う。それはコトバにも同じことが言えて、その人が発するコトバの波動は生き方に反映されている。人それぞれコトバの波動は異なり、その産み出す螺旋が命の悦ぶ螺旋か、もしくは命の悲しむ螺旋なのかが生きていくうえでとても大切になってくる。

こういったことは臨床だけでなく、人との付き合いにも応用出来るものでもある。

「波長を合わす」というコトバが適切なのかは分からないが、人と人とが付き合っていくうえで人間は無意識のうちに相手が出している波動に合わせ、調和させながら生きているのではないだろうか?よく自分とは合わない、生理的に無理等というコトバが出るのも自分の描いている螺旋と相手との螺旋が調和しないからなのだと思う。人付き合いが上手い人は相手の波動をいち早く察知し、その波動に合わせ付き合うことが出来るのであるのだと思う。

このように螺旋のイメージは操体の臨床や生き方においてもとても大切になってくる。

それは人間が常に螺旋を描きながら、波動と調和し生きているからだ。

三浦先生が皮膚に触れる診断法を「渦状波」と名付けられているが、なぜこういった名称にし、体系付けられたかを考えていくと先程述べたことが大いに関係しているように思える。

こういったが少しでも見えてくると操体の臨床がなぜ「感覚」を重視しなければならないのか、なぜ人間のカラダは丸く出来ているのか、なぜコトバが大切なのかが解かってくるのである。